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はじめての『鉄道旅』

世の中にはたびたび、電車移動を手段ではなく目的だと言う人がいる。
電車に乗るためにわざわざ回り道をしたり、何日も予定を開けて北から南へ電車で向かったり。
どうやら、私がスマホに助けを求めてどうにかやりすごそうとする時間を、彼らは楽しみに変えてしまっているらしい。

そこにどんな魔法があるのか、一度くらいならやってやろうじゃないかと、友だち四人で仙台旅行をした次の日、私はその中の一人がするという鉄道旅について行ってみることにした。

旅の始まりの朝、まず私は友人にみどりの窓口へと連れていかれた。今回、仙台→(東北本線)→福島→(山形新幹線)→山形→(奥羽本線)→羽前千歳→(仙山線)→仙台と、仙台を出発して山形経由で輪を描くように仙台へと戻ってくる。このように一筆書きで描いたルートを窓口で伝えると、それ用のオーダーメイドの切符をつくってくれる。彼から聞いたことはあったが、実際につくってもらったのは初めてだ。

そして事前に持ってこいと言われていた学割証を見せて、二割引きで買う。これも初めて。

こうして手に入れた旅の相棒は、モバイルS●iCaよりも幾分心強く感じた。

早速、福島行きの普通列車へと乗り込む。空いているボックス席にいそいそと並んで座ったら、ついに出発だ。

発車メロディのない、静かな朝の立ち上がり。
すぐにホテルのラウンジのようなゆっくりとした時間が流れ、外を映し出す大きなディスプレイは地方都市の街並みから畑へと違和感なく切り替わる。

なんだこれ、すごくいいぞ。

向かいの席が空くと、すぐに私も窓側へと移る。そしてじっくり観察してみると、電車から見える景色は、いつも旅で使うレンタカーから見る景色よりも少しばかり目線が高く、少しばかりパノラマで、少しばかり奥行きがあったのだ。
ただそこに座っているだけで、作品たちが緩やかにバトンタッチしながら目の前に現れてくれる。畑から川へ、川から山へ、山から虹へ。この空間では、入れ代わり立ち代わりで乗り降りする地元のおじいちゃんや高校生も、観客ではなく出演者だ。

しかし目の前の光景だけでこの心地よさが説明できるだろうか、なにか関西で普段乗っている電車とは違うんだよなと不思議に思ううちに、私たちはあっという間に福島駅へと到着した。

まずは駅内の観光案内所で情報収集だ。鉄道旅っぽくていい。
スタッフさんがちょうど脚立で飾りつけをしている途中の入口をくぐりぬけると、ももりん(像)が温かく出迎えてくれた。とはいえ、ももりん(像)に話しかけるわけにはいかないので、横にいたスタッフのおばちゃんに「飯坂温泉に行きたいんですけど」と友人が伝える。あれやこれやと教えてくれたこのおばちゃん、英語とスペイン語が話せるそうなので、今度来た時は「Hola!」と声をかけたいと思う。

JRの一筆書きからいったん外れて、飯坂電車という民鉄に乗る。しおりになる切符、車内ののれん。民鉄に乗るのもありだななんて言っていたら、斜め向かいに座っていたおっちゃんが「いる?」の言葉とともに民鉄のフリーペーパーをくれた。(ちなみにそのおっちゃんはその後、早口速足の案内とともに飯坂温泉の中でもニッチな浴場へ連れて行ってくれた。ありがとう、おっちゃん。)

しっかりと温泉を楽しんだ後、仙台と福島と山形の駅前のつくりを比べてあれやこれやと言ううちに、再び山形→仙台へと向かう普通電車の時間がやってきてしまった。
旅の終わり。自分たちの心境も、乗客も、日暮れ特有の空気感も、朝のそれとは違った。空気が圧縮されたような静かさの中に、複数の観光客のボソボソ声が聞こえる。

ん?そうか、音が違う。もしかしたら関西で乗る電車とは、音の聞こえ方が違うのではないか。

すると友人がふいに、

「向こうは壁が薄いからね。」

壁が薄い?

「車幅は同じだけど、壁の厚さが違うから、こっちの方が車内も若干狭く感じるのさ。」

なんと。私の考察は彼の知識の前であっけなく終わった。ちなみに、彼の語尾が"さ"なのは、スネ夫的なあれではなく北海道民の訛りだ。
じゃ、じゃあ電車が発車するときのあの空気が抜けるような甲高い音が関西で聞こえないのも、壁が厚くて聞こえないってことか!

「や、電車って空気圧でブレーキかけてるんだけど、あれはそれを抜く音だから、ならないってことはないと思うよ。聞こえ方は違うかもしれないけど。」

違った。

「あと、たまに床からガタガタ聞こえる時あるじゃん?あれってまさに空気を作ってる音なんだよね。」

知識のオンパレード。だがこうして無意識に聞こえていた音に意識を傾け、解き明かされていくのは面白い。こうしてちゃんと見渡してみると、日本全国「電車」と言っても、空間自体がまるで違うのだ。もしかしたら、というかおそらく確実に、音の反響の仕方とか、座席の硬さとか、光の入り方とか、匂いとか、ドアに貼ってあるステッカーとか、そういったニュアンスの違いが、その日その時その人しか味わえない唯一無二の鉄道旅を演出するのだろう。

でもなにより、頭を真っ白にして車窓を眺める時間が最高に愛おしかった。普段乗っている電車でもし顔を上げていたら、どんな景色が見えていたのだろうか。

そんな小さなワクワクを持ち帰って神戸に戻ってきた私は翌日、新開地から三宮行きの阪神電車に乗り込んだ。







真っ暗だった。

ずっと地下だった。

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