新釈・藤原広嗣の乱

 西暦七四〇年十一月一日、肥前国唐津某所にて、藤原広嗣とその弟綱手は目の前に置かれた扇風機の残骸をじっと睨み付けていた。

 寒風が吹きすさぶ中、手足は縄で縛られ、立ち上がることもままならない。あと小一時間もすれば二人はこの目の前の扇風機と同じ姿となる。もはや避けられない死を目の前にして、広嗣は妙に落ち着いていた。空を仰ぐと、あの忌々しき機械に似た直方体の雲が浮かんでいるのが見えた。

 その雲を見ながら、広嗣はここ五年に渡る事の顛末を思い返し始めた。


     *


 時は七三五年、玄昉(げんぼう)や吉備真備(きびのまきび)ら遣唐使が帰朝した日まで遡る。

 遣唐使と言えば、唐の進んだ文明の利器を持ち帰ってくるのが常であるが、今回帰国した遣唐使たちはとある白い直方体の箱を持ち帰った。皆が訝しげに観察する中、玄昉は自信満々に「こちらはエアコンという機械でございます」と紹介した。

 エアコンとは、扇子や扇風機と同じ納涼器具の仲間であるが、単に風を生み出すだけでないところが他と大きく異なっていた。冷たい空気を室内に循環させ、部屋の温度を快適に保つことができるのだ。風ではなく空気で涼をとるという発想が無かった奈良貴族たちにとって、このエアコンは革新的な道具であった。唐物好きの貴族たちの中でこの進んだ文明の利器を欲しがらない者などいるはずがない。貴族たちは吉備真備が帰朝後すぐに立ち上げた『吉備電工(株)』に競って多額の投資を行うようになった。

 その貴族たちの期待に応えるように吉備電工はわずか二年でエアコンの大量生産の方法を確立し、エアコンは奈良貴族の間で急速に普及した。

 それからまもなくして藤原四子が相次いで天然痘に倒れると、藤原氏から替わって橘諸兄(たちばなのもろえ)が政権を握った。諸兄は新羅との緊張緩和と軍縮政策をとった一方で玄昉と吉備真備を重用し、平城京内に存在する全ての建物に一台以上のエアコンが配備する『百万棟のエアコン計画』を施行した。

 これによって痛手を受けたのが発電所(はつでんどころ)で働く民衆と扇風機の専売を行っていた藤原氏である。急激な電気需要の増加に発電ラインが追い付かず、突貫工事的な発電設備の増築とその施設での勤務に大量の民が駆り出された結果、社会が目に見えて疲弊し始めたのだ。

 その様子を見た藤原広嗣は、失った経済基盤を回復するために「社会疲弊の解消」という大義を掲げながら、エアコンと扇風機の共存社会の実現を諸兄に訴え続けた。

 しかし翌七三八年、広嗣は大和守から大宰少弐に任じられ、大宰府に赴任することとなった。この人事は扇風機推進派として色々と口やかましい広嗣を中央から遠ざけるためのいわゆる左遷であることを広嗣はよくわかっていた。

 もはや口でいくら言ったところで何も変わるまい。中央の貴族たちはエアコンによって年中快適な温度下で生活する喜びをその身一杯に享受しており、顔も名前も知らない民のためにその生活を手放すつもりなどあるはずがないからだ。

 広嗣は大宰府に赴任してきたその日から水面下で着々と戦いの準備を始めた。


 そして七四〇年八月二十九日、広嗣は発電事業に民を酷使し、それを省みることのない政治を批判して、吉備真備と玄昉の更迭を求める上表を送った。同時に筑前国遠賀郡に本営を築き、烽火を発して太宰府管内諸国の兵を徴集した。軍縮によって官兵の動員には時間がかかると予測した広嗣は、関門海峡を臨む登美、板櫃、京都の三郡鎮に兵を増派した。

 広嗣軍は運搬可能な小型発電機と扇風機を大量に導入して、残暑の厳しい戦場でも兵たちが快適な戦闘を行えるよう策を展開した。

 しかし、その策が功を奏したのは初めの数週間だけであった。季節の移り変わりと共に暑さが和らぎ、官軍が本来の力を取り戻すと広嗣軍は次第に苦戦を強いられるようになった。

 数度の会戦で撤退を強いられ、敗色濃厚になってきたことを悟った広嗣は板櫃川の会戦に敗走したことを契機に、船で五島列島へ渡り、そこから新羅への逃亡を企てた。しかし、巨大扇風機のような強風のために船が押し返されて逃亡は叶わず、広嗣らは宇久島へ流れ着いた。

 もはや天にも見放された広嗣は抵抗する気力も失い、十月二十三日、宇久島で安倍黒麻呂によって捕らえられた。こうして、およそ二ヶ月に渡る戦いに終止符が打たれた。


     *


「何か言い残すことはないか」

 という刑吏の声で広嗣は我に返った。もう空に先刻の雲はない。

「民の悲鳴が聞こえぬ連中に何か言ったところで俺の声は聞こえまいて」

 決して救民のためだけに戦ったわけでもない自分が、死を目前にしてもまだ、まるで悲運の英雄ぶろうとしていることに広嗣はどこか自嘲的な気分になった。

「言いたいことはそれだけか」

 という刑吏の言葉には無視で応えた。

「扇風機は」

 刑吏はおもむろに斬首用の斧を振りかぶった。

「扇風機は、お前たちと共に埋めてやろう」

 広嗣は目を閉じて口元に微かな笑みを浮かべた。

「苛政はいずれ────」


     *


 その後、倭国には大陸から水力発電と風力発電の技術が伝来し、それまでの人力発電とは比べものにならない量の電力が生み出せるようになった。結果として、エアコンの優位性は揺るがないまま苛政だけが和らいだ。






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