「うつになったわたし」からの解放——ひらやまさんをレンタルして
「うつになったわたしはどんな人?」
うつになって数か月が経った。考えごともたくさんした。いっぱい眠った。いっぱい食べた。お薬のおかげも多分にあるけれど、穏やかな日々が送れるようになりつつある。
うつになる前の生活は、それほど覚えていない。特に会社に行けなくなる直前の、もう「うつになっていた」と言ってもいいかもしれない期間のことは。
たぶんわたしは前とは違う人になっている。考え方もそれなりに変わったはずだし、症状のひとつとして苦手になったこともたくさんある。
でもわたしはもとに戻りたいとは思わない。20年ちょっとで一度破綻した生活である。もう一度やりたいとは思わない。もとに戻そうと思えば戻せるかというと、難しい気がする。どんなに注意深くしたタイムトラベルだって、どうしてもほんの少し歴史を変えてしまうように。漠然とそう思っている。
じゃあ、「うつになったわたしはどんな人?」——少し探ってみてもいいような気がしてきた。自分ではなんだか堂々巡りになりそうだ。
ひらやまさんをレンタルしてみた
そんな折にTwitterで見つけたのがこのbosyuだった。ふーん、と思うだけで最初は流していたんだけれど、TLに流れてくるたびなんとなく開いてサイトを見ている自分がいた。ある夜、「これだけ気になるってことはやってみた方がいいんだろうな」と思って応募することにした。
何をなやんでもらおうか。「動いているひらやまさんを見たい」じゃ、「なやむひと」じゃないしなぁ、などと考えていたときに、冒頭の悩みを思い出した。ひらやまさんもうつみたいなものになった時期があることをほのめかしているよなぁ、と思ってメッセージを送ってみた。わたしのちっぽけな悩みじゃ振り向いてもらえる自信が無くて(ひらやまさんは小さな悩みに耳を傾けてくれるやさしい人だとは思っていたけれど)、「実は共通の知り合いが2人います」と謎の自己紹介をつけて。
ひらやまさんと話してみた
時間になってzoomのリンクをクリックすると、ひらやまさんが現れた。おお!動いてる!しゃべってる!声はなんとなく想像した通りだった。性格は声にあらわれるのだろうか。
「共通の知り合いって誰?」というところから話はすんなり始まった。前に書いたnoteも読んでくださっていて、丁寧な人だな、と思いながら話していった。
実際のところ、「うつになったわたしはどんな人?」という話はそんなに盛り上がらなかった。うつになってどう変わった?なんて話をゆるゆるして、気がついたらもう20分すぎてて、なんかもういいかな、なんて気分になって全く関係ない話もして、通話を終えた。
ひらやまさんはやさしくて、最後に「話しやすい、誠実、そのままでいい」と言ってくれた。わたしはそんなにやさしい人じゃありませんよ、とちょっと拗らせた気分だった。
あとからじわじわくるひらやまさん
あれから10日くらいが経っている。その間に、定期的にやってくるうつの落ち込みがあって、ひともぐりしていた。ふとんでもぞもぞしているとき、ぼーっと川辺を歩いているとき。四六時中ではないのだけれど、一日のどこかで、ひらやまさんの言葉を思い出して、なにかしら考えていた。話つまんなかったよな、申し訳なかったな、みたいな振り返りも含め。
話が盛り上がらなかったのは「本当の問題」じゃなかったから
10日たってやっとこさnoteを書き始めたのは、自分の中でひとつ腑に落ちたことがあるからである。「うつになったわたしはどんな人?」というのは、「本当の問題」ではなかったのだ――他人を巻き込んでおいて申し訳ないのだが。
それに気づいたきっかけも、ひらやまさんの言葉だ。
うつであってもなくても「価値観が変わる」って現象はある
今まで大好きだったものが大嫌いになるとか、逆に大嫌いだったものが好きになるとか。できなかったことができるようになるとか、できていたことができなくなるとか。ずっと続けてきたことをやめるとか、新しいことをはじめるとか。これらのことは、うつになると起こることだけど、うつにならなくたって起こることでもある。「うつ」というのは、きっかけになり得たたくさんの出来事のなかのひとつでしかないのだ。
うつになる前のわたしと、なったあとのわたしを比べて、間違い探しをすることはできるのだけど、どっちが間違いでどっちが正解かなんてわからない。
「うつになったわたし」からの解放
うつになってからしんどかったことはもう山ほどあるのだけれど、「あまりにも変わってしまったわたしの存在」はその中でも特にしんどかったし、現在進行形でしんどいことだ。昔の自分がした大きな決断の理由が、今ではちゃんちゃら理解できない、ということもざらにある。「変わってしまった」ことのひとつひとつを、これはうつの症状だろうかと悩み、戻さなければいけないだろうかともがき、どうにもならないと嘆くのはなかなか力がいる。それはもう、しんどい。
いっそ「わたしは新しく生まれ変わった」ぐらいに思おうじゃないか。きっかけのひとつがうつなのは、どうやら間違いなさそうだけど、うつが理由のすべてでもない。せっかく生まれ変わったのだから、新しい人生を生きよう。戻そう、とは考えない。どういう生き方がいいだろうかとうろうろした結果、もとに戻ったのならそれはそれで。うん。新しい人生を生きよう。まだまだ病院には通うけれど、「うつになったわたし」とはおさらばだ。
それでも自分に都合がいいときは、「うつになってしんどいからさぁ」と言いたくなる。そんな自分も認めながら、一日いちにちを、生きてゆく。
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