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地方から成り上がるには

どうも。
ラッパーの日高大地です。

今回は15〜20歳まで自分が宮崎でラップしてた時の、
「地方在住ラッパーはどうすれば全国的に成り上がれるのか」
みたいな気持ちを思い出して書いてみます。
自分の体験談を含めた話になっているので、途中途中偏った話になるかもしれませんがご了承ください。


まず初めに、田舎からラップで成り上がるという事についてですが、手っ取り早い方法は極端に言うと2種類しかないと自分は思っています。

・1つは、MCバトル。

・もう1つは、サブスク(プレイリスト入り)などでのバズり。


自分は前者に当てはまります。
ここ最近はバトルブームの低迷もあり、2,3年前よりはバトルでの成り上がりは難しい状況にあると思いますが、それでも年に2回くらいはUMBや高校生ラップ選手権などがあるので可能性は0では無いと思います。
なんだかんだ毎年全国から新顔が3〜5人位は出てきてると思うので。
本当に最速でバズりたい、有名になりたいって人は今すぐ東京に引っ越して、東京のバトルイベントに出まくれば1年後位には存在自体は全国的に知ってもらえると思います。

けど焦ってバズろうと思っても、アーティスト生命が短命になる可能性も昨今はあって。
長い目で見て自分の立ち回りというか、「アーティストとしての在り方をどうして行きたいのか」を早い段階で決めれるかどうかがとても大事だと自分は思います。

自分の場合ですが、方向性もそこまで定まってないまま気づいたら知名度が広がったので、やりたい事や方向性が割と定まってきたここ最近になって過去の自分が足枷になってくる場面がたまにあったりして、、、。

一度バトルである程度有名になると、どれだけ自分のラップが変わったり、スキルアップしたりしても、過去に伸びた自分の動画でしか自分を判断されないという事がよく起きます。
現に自分も、未だに2018,2019の頃のだーひーとしか見てもらえないという事が多々あり頭を抱える時もあったり。
なので、バトルに本腰入れていっちょ有名になったるか〜って動きは、自分の中でスタイルが固まってからの方が将来的に1番バトルに満足できるんじゃないかなと思います。

方向性の定まってない人の顔つき。
なんだこの髪型と微妙な表情は。



しかし、マイナスな事ばかりではなく皆様も分かりきってる事かと思いますが、バトルで有名になれたおかげで全国各地のイベントに呼んでもらえたり、昔は画面の中だった人とも今は肩を並べて曲作りや会話をする事ができたり。
自分は早い段階でバトルのだーひー、楽曲の日高大地と名前を分けたり、バトルに出る回数も減らしたりしたので、両極の自分が混同してネガティブに落ち切る事も無くなってきました。

みなさんも何となく理解できると思いますが、
リスナーから見て、だーひーを含めバトルでのイメージが定着しすぎて曲普通に良いんだけど、なんかもう曲聞けない、みたいなラッパーが日本中にたくさんいるはずです。
これからバトルで有名になりたいって人は、2,3年後にそうならないように気をつけながらバトルと向き合う事がとても大事かな、と。

次にサブスクでのバズり

2018年頃から、サブスクが若い世代にも広く普及し出して、音楽がより生活と近いものになったと思います。
特にラッパーで分かりやすい例を上げさせてもらうと、空音、Rin音君、クボタカイ君などが代表的かなと。

左から、空音、Rin音、クボタカイ


全員当時都会に住んでいた訳ではなく、なんなら全員今も当時から変わらずそれぞれの地元に住んだまま全国的に活躍してるはずです。(もし東京住んでたりしたら間違った情報になってすみません)


もっと自分に近い存在だと、Saint Vegaという宮崎の先輩がいるのですが、この方は宮崎の田舎の方に住んだまま、そこまで地元の人と関わる事もなく1人で何年も曲作りをし続けた結果、今サブスクでかなりバズってます。
確か去年頃に宮崎での仕事も辞めたんじゃないかな。

Saint Vega


今、例として述べさせてもらった方々はかなり群を抜いてる方ではありますが、
地方に住んだままそこまでネームバリューがあるわけではないけど、実は仕事をせずにサブスクの収益だけで生活してるって人が全国的に結構いるんじゃないかと思います。
(Lo-Fi beatで海外でバズってめちゃくちゃ再生されてる人とかが多いのかな?と個人的には)

そこから更に派生して、mix,masterの依頼だったり、ビート提供の依頼だったりで更に収益を増やしていくみたいな流れも多いかな。
自分もお世話になってるPIANO FLAVAというプロデューサーの方がめちゃくちゃ分かりやすい記事を昔出してたので↑の流れが気になる方は是非こちらも続けて読んでみてほしいです。


長い目で見て地方でアーティストをする人にとって、1番大事なのは他者との繋がりだと自分は考えます。
イベントのオーガナイザー、ショップの店員、ライブハウス・クラブの方々など。
そうして少しずつ自分を知ってもらい、自分の曲を聞いてもらい、ライブに呼ばれるようになって、ゆくゆくは地方イベントのレギュラーメンバーになる、みたいな。
ずっと地元に住んで現場主義で音楽活動をするならその精神を忘れてはいけません。
地方にはその地方ならではの文化やルールや在り方が存在するので、そこを理解した上で自分の色を足していってシーンを少しずつ変えていく。
たまに古臭い考え方で怖い大人もいるかと思いますが、それはその人が培ってきたやり方や土台があるからであって一つの正義です。
揉める事もあると思いますが、狭い地方でやり続ける以上絶対イベントで被ったりすると思うのでなるべく全員と仲良くピースにやれたら幸せですよね。

自分はそこまで深く宮崎のヒップホップ文化に触れられないままバトルで有名になったので、腫れ物扱いされたり、楽屋で詰められた事も少々。
17,18歳の頃はもしかすると自分も変な尖り方してたのかなと反省してます。
もちろん昔から未だに優しくしてくれる大人の方々も沢山いるので、全員が全員怖いって訳では無いですが、18歳の時に30〜40歳の厳つい方に詰められた時の恐怖が強く残ってしまってます、、、。

8月から宮崎を永住の地にして、宮崎でヒップホップし続けるので、東京で経験した2,3年間を自分の一つの武器にして、また0からの気持ちで宮崎の音楽シーンに貢献できれば良いなと考えてます。

宮崎のヒップホップと言えばここ。若草通り。

最後にもう一つ。
少し前に書いた通り、自分は18歳くらいの時少し怖い思いもしたので、ヒップホップのイベントに行く事も減っていって。
けどクラブやライブハウスは大好きだし、、という思いもあり19歳位からバンドのイベントにかなり行ってました。
そっちの世界にも優しい年上のプレイヤーがたくさんいて、他ジャンルだからと言って厳しくされたりもなくとても居心地の良いイベントが沢山ありました。
そこから日高大地をチェックしてくれた人が宮崎でバンドイベントに呼んでくれたりもしたり。
東京に引っ越すきっかけにもなった彼女さんともそこで出会いました。
ラップをしてるからと言って、ヒップホップの場だけが音楽の全てでは無いということもあるので、自分の住んでる街にどんな音楽シーンがあるのかを調べてみるのも楽しいかもしれませんね。

今年3月に閉店したSR BOX(オーナーの図師さん)
自分が初めて行ったバンドイベントの会場。
思い出の地です。



長くなりましたが、このnoteが音楽だけに限らず地方発信で何かを作ってる人、これから何かを始めようとしてる人参考になれば幸いです。
自分が書いた以外にもこういうやり方もあるよってのが有れば是非教えていただきたいです。
自分もこれからは宮崎在住で音楽でうまいことご飯食べていけないか考えてるところなので参考にしたいです。
是非、皆さまよろしくお願いします。

最後までご覧いただきありがとうございました。


追記
松島諒さん(MC松島)の地方レペゼン、地方ヒップホップシーンへの貢献の姿勢に毎回リスペクトしてます!

松島さんのラジオのフライヤー


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