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3月19日(日)本證寺
三河一向一揆は小さい頃から興味があった出来事で、先日、安城市歴史博物館での企画展を見学しました。そこで、本證寺に堀があるという情報を知り、(お寺に堀がある!?)と興味が沸き、時間ができたときに訪れました。
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大河ドラマの影響か、ガイドボランティアさんや、見学者が多くいました。
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内堀跡には、水が溜まっていました。湿地帯のようで、足がとられそうな地形になっていました。
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これを見ると、当時は寺の外にまで支配の範囲を広げ、「寺内町」として、守護使不入の権(守護使=大名の命令が及ばない権利のこと。税金免除など優遇され、この地域は富裕層が住む街だった)をもっていた。
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確かに立派な堀で、攻め入る上で大きな弊害になりそうでした。
現代の日本人が宗教に対する関心が薄いことの理由として、日本には宗教による国の支配をしてきた歴史がないから、と思います。
戦国乱世の頃、一向宗が大きな勢力を誇り、三英傑を大いに苦しめた存在でした。
宗教には「弱者を救う」という考えがあります。
心の弱い多くの人たちは、嫌なことがあると逃げたくなります。本来は反省をして、より強くならなければならないのですが、宗教によって「自分は悪くない、今の世の中が悪いんだ!」とある種の妥協を許す考えも出てきてしまいます。
そして、その甘い言葉を信ずる人たちが集まれば、大きな力に変わります。
武士は信念を第一としています。宗教の考え方で、甘い考えが出てくる事に許せない部分もあったのでしょう。
こうして、武士と宗教の争いは、切っても切り離せない関係でした。
そして、歴史の勝者は武士でした。その結果、現在の日本人の無宗教文化が浸透したのだろうと思います。
宗教の考え方は立派だと思います。しかし、乱世の世の中で、“民の逃げ道”として使われてしまったことが宗教を思わぬ方向に運んでしまったのかもしれないですね。
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