選句とは何か
昨今のAIの発達は著しく、人間の仕事を言語化する必要が増えてきました。俳句でもAIが開発されていますが、現段階のAIは選句をできないようです。AI研究者は、AI俳句やAI川柳をSNSで発表して、人気投票の形式で句の評価をします。プロは、そういった仕事に対して「選句が出来ていない」と言うに留めていますが、そもそも選句とは何かということは、その言葉からは測りかねます。今回は選句について考えていきたいのですが、AIとの関わりのためとは限らず、選句についての持論を持つことは、色々な場面で役立つと思います。
選句について考える前に、「読者」と「選者」の仕事を分けて考えることから始めましょう。句会や雑誌、書籍を通して句を読み、選ぶという行為において、読者の仕事は、読者自身の人生観に鑑みて句の提示する情感に乗れるか乗れないかを決めることです。持論では、特に川柳に「乗る」「乗らない」という価値基準が発生すると考えています。換言すれば、俳句では「上手いけど嫌い」が成り立つけど、川柳ではそういう評価が成り立ちづらいということです。川柳に限らず、このような価値基準を示すことが読者の仕事であると考えられます。SNSのタイムラインを見ても思うのですが、好き嫌いの表明だけでも、人となりというのが見えてきて、知らず知らずのうちに読者の内心は世に晒されているように思います。読者もただ消費しているわけではないようです。
一方で選者は、広い視野や技術的な基準を持って、読者の価値判断だけでは取り得ない句を選び、読者に広い視野を与えます。そこでの選ぶという行為は、読者に新たな価値を提供することを目的とします。そこには選択意図があり、表現目的が生じるため、選ぶという行為そのものが表現になっていきます。
選者の仕事は、一般的に報酬という形で社会的信用が発生します。広く世の中に表現を提供するという表現行為が一つと、作者に表現者としての社会的信用を与えるという権力行為がもう一つです。新人賞を見ていても、名もなき新人に栄誉を与えると同時に、作者としての社会的信用を創造していることが分かります。選者というのは、表現的に、そして社会的にその責を負うが故に、信用を創造していると考えられます。
まとめますと、読者は自身の信念を表現するために、選者は多くの読者の視野を広げるために、作者と対峙する表現であると考えられます。そして、選者の仕事は、表現行為であると同時に権力行為に対しても信用が発生すると考えられます。
選者の仕事について、もう少し詳しく考えていきましょう。選者の仕事は、読者以上に広い視野を持ち、深い知識を必要とします。もちろん、選者だって知らないこともありますが、少なくとも作者から醸し出される情趣については、知らないでは済まされません。色々な情趣のパターンを持ち、使いこなせることが、選者としての信用を得るために必要なことでしょう。
大きな賞で選者が一人ではないのは、選者それぞれに情趣を表現するパターンに好き嫌いがあって、知識にも得意不得意があるでしょう。それらのあらゆるパターンに信用を与えたい。そういう意図があって、細やかに選者を置く場合もあるのでしょう。人間が作り、人間が選ぶ以上、人間の普遍的な感情に訴えかけた句を見出すことに意見の対立は少ないでしょう。しかし、選者の読者的性質によって、技術的水準を満たした上で取りたい、あるいは取らなければならないパターンの句が生じることもあります。あるいはその逆もあり得ます。要するに、選者の人生観に照らして選ばなければならないことが生じるということです。
まとめますと、選者の仕事には、広い視野、深い知識から得た豊富な情趣とともに人生経験に裏打ちされたこだわりがあると考えられます。少し乱暴ですが、これらを一言で言えば、作者の人生を見出すことが選者の仕事であると考えられます。
本稿では、俳句、時々川柳を念頭に置いて述べていきましたが、選を伴うジャンル全体にどれだけ応用できるかは分かりません。各々で考えるのも面白いと思います。
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