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メモリアルジャーニーのすすめ~第一部:10年前への旅編~【エセ・エッセイ022】

このエセ・エッセイの裏話、語ってます。

だーやまの語るシスナイト
EP.4 メモリアルジャーニーのすすめ・裏話~10年前への旅編~

2024年4月。
結婚20周年の記念に、夫婦ふたりで『メモリアルジャーニー』をすることにした。過去に住んでいた街を訪れ、記憶を辿っていく旅である。
ちょうど10年ずつくらいで住む場所が変わっていたので区切りもよく、二部構成の旅となった。

まずは第一部、10年前に現住所に越してくるまで住んでいた街へ向かう。
まっすぐ家まで行ってしまうのもなんなので、よく散歩していた一駅向こうの街からブラブラ歩いていくことにした。

下町情緒あふれるその街は当時の記憶のまま、駅を出てすぐの場所に饅頭屋を有していた。懐かしい気持ちで「酒まんじゅう」を買う。みたらし団子が売りの店なのだが、私がみたらしの味が得意ではなく、当時から酒まんじゅうばかりを買っていたことが思い出される。歩きながらかぶりついたまんじゅうは美味しかったが、記憶の味と同じかはわからなかった。

短いがアーケードになっている商店街を抜ける途中、いわゆる角打ち(中で飲める)ができる老舗の酒屋の前を通る。ちらりと覗ける店内は意外と広そうで昼間でも常連らしい客の姿がちらほら。通りすがりにいつも気になっていたが入ったことは一度もない。今回も入りはしなかったが、古い店が記憶のまま残っていることがなんだか嬉しかった。

他にも道すがら、越して来てすぐ閉店してしまいガッカリしたマクドナルド跡地だとか(整骨院になっていた)ボヤ騒ぎを何度か起こして消防車が来ていた焼き肉屋だとか(店は変わっていたが相変わらず焼き肉屋だった)よく買いに来ていた惣菜屋はなくなっていたがケーキ屋はまだ頑張ってるとか、風景は変わっていたりなかったり。それらひとつひとつに色んな日常の記憶を呼び覚まされながら、ふたりで辿る道はとても楽しいものだった。

そしてついに見覚えのある住宅街に辿り着いた。大きく変わっていたのは、マンションから徒歩1分の銭湯が閉まっていたこと。当時から歴史のありそうな建物だとは思っていたが、もう営業していないせいか、外観は記憶よりなお色褪せて見えた。

あとで調べたところ、この銭湯は100年近くも営業を続けていた超がつく老舗だったらしいこと、閉業はつい1年前だったことがわかった。そうわかると当時から特に常連でもなかったくせに、なにやら惜しむような気持ちになるから不思議なものだ。

さておき、いよいよ懐かしの我が家とのご対面である。賃貸マンションだったので外観はそのまま。我が家は記憶とほぼ変わらない形でそこに存在していた。当時住んでいた1階の部屋も、私は見たところそのままだと思ったが旦那いわくドアチャイムは新しくなっていたらしい。テンションが最高潮になり「懐かしい」を連発しながらマンション周りをやたらウロウロした。
立派な不審者である。

しかし、ひとしきり楽しんだあとにマンションを離れ、最寄り駅へ向かう道をたどり始めてから私の気持ちはだんだんとしぼみ、足は重くなった。建物の並び、交差点のファミレス、植え込みのツツジと道の脇のポスト。それら道端の『変わらないものたち』に否が応にも思い出される光景。それは私にとってひどく憂鬱なものだった。

この道を弾むように歩いた楽しい思い出だってあるはずなのに。どうしてか朝、それも冬の、頬を切るように冷たい風のなかを通勤のため無言で歩いたことが強く思い出される。周りを歩く人達もみな足早で、互いに目を合わせることもなく無言でひたすら足を動かしていた。「行きたくなくても行くことしか選べなかった」…そんな言葉が頭をよぎる。

当時の苦悩をここでは語らないが、こうして10年前を辿る旅は『10年経ってもまだカサブタになっていなかった傷』が残されていることに気づく旅にもなった。

しかし、記憶を辿りながら懐かしい街並みを歩くことで、その光景が変わっていても変わらなくても、こんなにも心を動かされるとは思わなかった。
10年前でこんなふうなら、20年前ともなればどんなことが起こるのだろうか。

第二部、20年前への旅へ続く。


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