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あなたは何が出来る人ですか?
もし突然「はい、次の人どうぞ~」って言われて、部屋に入ったらノートPCで顔の上半分しか見えない人にちらって一瞬、上目にこっち見られて、
「…で? あなたは何が出来るの?」って言われたら。
さて、あなたはなんと答えますか?
何が出来るかは「プロとして」?
これについて、私自身、そりゃあもう考えに考えてきたわけです。
なにか出来るものを見つけたくて。
「これが出来ます!」って答えたくて。
だけど、私は「自分が何が出来る人なのか」を答えることがずっとできなかった。
というか、自信を持って言える何かなんて持ってないと感じていたんです。
なんでかっていうと、私は、堂々と人に「出来る」と言うからには「プロとして」出来ないといけないと思っていたから。
で、私の思う「プロとして」って、たぶん、べらぼうに水準が高いんです。
もう、例えば、
失敗なんてあってはいけない。
毎回必ず同じ結果が出せないといけない。
誰かに「出来ないじゃん」と思われてはいけない、とかね。
しかも人生で一度も「何かのプロ」だった経験も自覚もない私には、
「プロとして」やるってどういう状態なのかよく分からなかった。
にも関わらず、闇雲に「プロを目指している」という状態はどういうことなのか。
目指す先は・・・【完璧超人】?!
自分が何が出来るか答えられない人は、ひょっとしたら私と同じで、
自分で勝手に架空の「プロなる存在」を作り上げてしまい、それになろうとしてしまっているのかもしれない。
そしてそいつは、
失敗なんかなくて、
毎回必ず同じ結果が出せて、
誰かに「出来ないじゃん」なんて絶対に言わせない。
ようするにそれ、【完璧超人】なんです。
…さて、お分かりいただけただろうか。
これは、思い込みって怖いよねというお話である。
もはやなに目指してんの?状態なわけである。
我に返って完璧超人を目指すことを止めた私は、じゃあ自分に出来ることってなんだろう?と最初の命題に戻りました。
そして素朴な疑問を抱いたのです。
そもそも「何をもって出来る・出来ないなのか?」
その基準はなんなのか?
「なんとなく出来てる感」でいい
例えば、お札をキレイに手の中で扇形に並べて数える人を見たことありますよね?銀行員の方とかがされてるアレです。
とても所作が素早く、正確に数えていく。出来たらカッコいいですよね。
でもそれが出来なくたって、お札を半分に曲げる、いわゆる「普通の数え方」でも、ササっと手早い所作でそれが出来たら意外と驚かれたり、すごいって言ってもらえたりする。
所作が慣れてれば、堂々としてれば、もっと言えば「なんとなく出来てる感」があるだけでも、他人は「出来てる認定」してくれることがあるんです。
他人の物差しを自分の「完璧超人」を目指す物差しと同じものだと思ってはいけないのです。
というか、他人の物差しを気にする必要すらない。
評価の物差しは人それぞれ違うからです。
だとしたら、それを基準にして自分が「出来てる・出来てない」というのはなんか違う気がしませんか?
つまり、誰が何と言おうが、自分でどう思おうが、あなたはすでに何か色々出来てる人なのです。
「なんとなく出来てる感」出してるものを含めて。
自分は意外と出来るヤツ
「すでに何か色々出来ている自分」を実感するのに必要なこと。
それは、自分がこれまでやってきたことをちゃんと把握して、自分の経験に基づいた「経験則」を信じることが必要だと私は思います。
つまりそれは、自分自身に自信を持つということ。
そして自信とは、誰かにアピールして評価してもらうことではなく、自分が自分を信じるということなんです。書いて字の如く。
だからまずは、「意外と出来るヤツ」な自分を信じましょう。
そして、今までやってきたことについては、もう「出来ること認定」を自分で勝手にしちゃいましょう。
営業でも事務でもバスケでも縄跳びでもデザインでもイラストでもなんでも。
大丈夫、誰も文句言いません。
求められているのは、【完璧超人】ではないんだから。
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