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私はカイジになれない

『まんがくらぶ』2013年1月掲載のコラムを加筆修正したものです。

 僕はトランプや将棋、オセロが弱い。

 弱い人から「弱いですね」と言われるくらい弱い。

 なぜなのか。何も考えないで打つせいだ。戦略もなく、てきとうに駒を置いている。敵軍の腹の内を探り慎重に兵を進めるのが歴戦の兵士だとすれば、僕は全速力でやみくもに突っ込んでいくアホな歩兵だ(戦争映画だと序盤で死ぬ)。

 僕がこんな愚行を犯すのには理由がある。

 相手を待たせたくないのだ。

 指し手に悩んでじっくり長考していると、相手の「いつまでタラタラしてるんだ、こいつ殺そうかな?」という声が(脳内に)聴こえてきて、焦る。ものすごく焦る。後ろに人が並んでいるときは弁当のあたためを頼めない種類の生き物はこんなことで焦る。
 そして、勢いまかせに何も考えていない手を出してしまう。完全に被害妄想なのだが、妄想だからこそやっかいだ。

 将棋やオセロなどのゲームには運が絡む要素がない。論理的にはすべての手を解析することが可能だが、そのパターンは膨大で、高性能コンピューターを使っても途方もない時間がかかる。考えようと思えば際限なく考えられるのだ。
 それでも人間が永遠の長考の沼にはまらずに次の手を指せるのは、思考の方向に見切りをつけ、範囲を限定しているためである。そのさじ加減の絶妙さを「勘」と言うのだろう。

 勘が働かない僕は、すぐに長考の沼にはまり、どこまでも考えようとしてしまう。さらに「待たせてイラつかせている」というプレッシャー妄想が襲い、その結果、板挟みのパニックに陥り、ストレスに耐えきれず適当な手を指す。毎ターン投了しているようなものだ。だから弱い。
『カイジ』とかを読むと、彼らの思考能力以上に「1手打つために20ページも30ページもかけて考えるなんてよくできるな」と思う。私なら3ページ悩んだらもう気まずくて適当な手を指す。

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