「ユウジョウ!」2019年10月17日
・体調がよくない気配を感じたので事前に申請して午前休を。頭ちょっとボヤッとした状態で昼頃起きた。
・どこかの学校で、教師が集団でべつの教師に習慣的な暴行(イジメ)を行い、激辛カレーを無理やり食べさせたりしたというニュース。続報として「学校はこれを受けて給食からカレーをなくした」というようなのが飛び込んできて、えーっ、そんな馬鹿な解決策あるだろうか、と思い、元記事となるニュースを読んだ。
保護者への説明会では動画にショックを受けた児童への対応として給食のカレーを一時、中止することや動画が撮影された家庭科室を改修することが発表されたほか、加害教師4人の謝罪コメントが読み上げられました。
・確かにそう書いてある。書いてあるものの、「ショックを受けた児童への対応として」という理由だという。そういう理由であれば、合理性がないわけではないと思った。先生が大規模な不祥事を起こした学校では、児童は(大人の想像以上に)心理的なショックを受けて教室が荒れることがあるというのをちょっと前にどこかで読んだ。事実がどうかはわからないが、本来なら信頼の象徴とされていた大人が急に、最悪の形で信じられなくなるわけだから、感覚的には理解できる。特に今回の事件はニュースでずっと報じられていたし「激辛カレー」のフレーズも扇情的だから子どもたちは確実に影響を受けているだろう。そんな状況で給食に「カレー」が出てくることを想像すれば、ふざけたり、ショックをあらわにする子どもたちが出てくると考えるのは自然だと思う。しばらくはメニューからカレーを廃するという対応は適切なんじゃないかね。
・もちろん、再現防止策などの本質的な対策ありきとして、並行していろいろやること前提の話なので、そういうのをやらずにカレーだけ消滅されてたら「なにやってんだ」ってなるわけだけども。ツイッターを見ていると、どうしてもこっちばかりが注目されているような印象がある。「カレーをやめてもなんの解決にもならないだろ」という方向で批判されている。実際は心のケアが目的なのに。責められるとしたら対応の優先順位が不適切なことであって、カレーをやめたことそのものではない。
・こういうの人間の認知機能のバグだな~と思う。ズルよりバカのほうが目に入ってしまって「バカだな~」「バカだバカだ」と囃しているうちに、その脇をズルがさりげなくすり抜けていっちゃう。人間が見つけるのが得意なのは「間違い(=バカ)」であり、「悪(=ズル)」ではないのかもしれない。どんな悪人でも「うまくやっている」というだけで批判の目から逃れてしまう事情がある。
・わたしたちは泥棒を「悪いな―」って思ってるけど、あれだって、逮捕された泥棒をテレビとかで見続けていて、その「失敗」をもってして「悪」を認識しているだけなんじゃないのかな。いざ自分が困ったとき、泥棒の友達がパンをヒョイと盗んできて、自分にくれたりしたら、やっぱカッコいいと思っちゃうし、その行為が成功してることをもってして、そいつが「正義の味方」に見えてもおかしくはない。泥棒行為がうまくいっている状況のさなかにあって、その行為に「悪」を感じるのは至難の技ですよ。たぶん。
・それはそれとして私がもしそこの児童だったら「いや、カレーを出せよ。教師は最悪でカレーの出ない小学校、最悪の限界を目指しているのかよ」と熱烈に思っていると思う。そういうことを気にする人格ではなかったから。でもまあ、それはそれなので。
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