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「『下校時刻の哲学的ゾンビ』のセルフ解説」2019年6月8日の日記

・てらだこうじさんが、むかしオモコロに出した記事のことを書いてくれている。

・これです。数千RTされて、けっこうウケた。てらださんの記事に貼られている記事のような「解説」や「解釈」ツイートやブコメもいくつか目にした。時間も経ったし簡単な自作解説みたいなことをやろうかな。もちろんネタバレ注意です。

・まず「哲学的ゾンビ」とは、作中でも説明されているように「人間と全く同じような振る舞いを見せるが『意識』だけがない存在」である。

・作中には「哲学的ゾンビになれるキャラメル」が登場する。これを食べれば、振る舞いは何も変わらないが「意識」だけが消えるのだ。

・この漫画は特殊なコマ割りのルールが課されていて、読み進めるとそれが理解できるようになっている。右、中心、左の3列が連なったコマ構成になっていて、主な描写は中心が担う。右のコマは一貫して真っ黒に塗りつぶされている。左のコマは、ピンク髪のキャラ(大朋)がメガネのキャラ(龍野)に渡されたキャラメルを食べると、右と同じように塗りつぶされる。

・おおよその読者はここで「キャラメルを食べることでピンクの自己意識が失われ、これまでピンクの意識を描写していた左のコマが塗りつぶされた」「右の黒コマはメガネの自己意識を表していて、はじめから彼女に自己意識はなかった」と気づく。

・この漫画に対する好意的な反応の多くで「哲学的ゾンビという概念の解説マンガとして優れている」という内容のことを書いてくれていた。たしかにそういう意図はあった。ただ、それと同じかそれ以上に、私は哲学的ゾンビ概念を表現できる「漫画」という表現形式の面白さや特異さを伝えたいと思っていた。しかし、それを指摘する人はいなかった。

・そもそもなぜ「ふるまいは全て通常通りであるにも関わらず、意識だけがない」という哲学的ゾンビの不可解な定義を私達は「理解」できるのだろうか。それは、意識に生じてくる様々な知覚を、それそのものの体験として識っているからである。私は、カレーの匂いのあの感じを識っている。空の青さの感じを識っている。歯の痛みの感じを識っている。それらは原理的に言語化できない「それだけ」に関する感覚である。カレーとシチューの匂いの違いがわかるというような能力ではない。そして、その感じを識っているからこそ「それだけがない」という哲学的ゾンビ状態を仮想的に考えることができるわけだ。

・さて、この漫画における真ん中のコマはカメラ映像のような役割を果たしている。誰の視点でもないが、客観的世界の一部を視覚的に切り取ったイメージだ。

・では、左のコマはどうか? これはピンクの視覚を表現しているように見える。彼女が目を閉じると、一時的に左のコマは黒くなるからだ。しかし、その認識は厳密には正しくない。

・それはキャラメルを食べたあとの描写で明らかになる。この時点では左のコマが真っ黒だが、彼女の視覚が失われたわけではない。彼女は正常な視力を保持したままで(客観的には何も失うことなく)、意識を失ったのだ。つまり、左右のコマが示しているのは「視覚」ではなく「クオリア(感覚質)」といった言葉で示されるものなのである。

・通常、この「視覚」と「視覚のクオリア」が区別されて表現されることはない。漫画ではその差を、クオリアの喪失によって描くことが可能である。いや、それだけならば小説にも可能であろう。たとえば、キャラメルを食べるまでの描写をピンクの一人称で描き、食べてからは三人称で描く、といった手法で、ピンクから一人称性の喪失を匂わせることならできる。だが、より直接的に「クオリアの喪失」を描ける表現手法は漫画だけだと思う。

・さらにこの漫画には「すでにクオリアのない存在=哲学的ゾンビ」としてメガネのキャラが登場しているが、漫画以外の手法でこの不気味さを表現するのは困難なはずだ。「実は最初からクオリアがなかった」ということを後出しではなく初めから示せるのは漫画だけである。小説や映画では「なさ」を表現できない。

・漫画であればクオリアの不在を初めから描くことができる。しかも、複数人のクオリアを併在的に描くこともできてしまう。ここには漫画が内包している表現の可能性が示されている。ページをコマで割り、コマの内側に絵を描くのが漫画の特徴だが、その手法には幾通りものアナロジーが重ねられている。読者は読解のルールを明示されることなく、描かれ方によって自ずと正しい読み方を発見している。これはかなり驚くべきことではないか。

・だから私はどちらかというと、この漫画で「哲学的ゾンビ」概念がわかって面白がれること以上に、「この漫画で『哲学的ゾンビ概念がわかる』こと」自体を面白がってほしいと思っている。過不足なく意味を教えるだけならWikipediaにもできる。クオリアを失う「疑似体験」をするという、論理的に矛盾したことを可能にしてしまう「漫画」の表現形式にこそ旨味がある。

・ところでこの漫画ではクオリアの不在を黒いコマで表現しているが、上記のように枠ごと消すという手法も考えられる。意図がわかりやすいと思って黒コマにしたんだけど、視覚とクオリアの混同を避けるならこっちのほうがよかったような気もする。


・以下は日記です。


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株式会社バーグハンバーグバーグのライター。品田遊として、コルク所属の小説家。ほかいろいろやっています。

コメント1件

哲学的ゾンビという言葉が単に主体性のない人を揶揄する意味で誤用されることはよくあるみたいですね(以下の記事だと「NPC」呼ばわりされてます)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64848
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