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「雨男・雨女には2種類ありまして」2020年3月26日の日記

・自らを「雨男/雨女」と称する人がいる。行く先々で雨が降る人生を送ってきた人を指す言葉だが、この「雨男/雨女」には実は2種類ある、ということをご存知だろうか(今日思いついたことだからご存じないと思うけど)。面倒なのでここからは「雨人間」と総称しよう。

・まず、その人が雨の降る”原因”であるような雨人間が考えられる。雨が降るのはその人のせいなのである。雨を降らせるかどうかはコントロール出来ないが、その人の持つ何らかの特性が天候を変化させ、雨を降らせる。そのような種類の雨人間だ。これを「原因型」の雨人間と名付けよう。

・次に、その人は雨の降る原因ではないが、その人の行く先々で雨が降るように予め決められているような種類の雨人間が考えられる。雨が降るのはその人のせいではない。しかしその人は雨が降る場所に行く運命にあるのだ。これを「運命型」の雨人間と名付けよう。

・その本人が雨を降らせていると考える原因型。そして、雨の降る場所に行くように決定されていると考える運命型。これまで「雨男/雨女」の話をしたり見聞きしたとき、イメージしていたニュアンスに近いのはどっちだっただろうか。それによって見えてくる世界観はだいぶ変わってくる。

・よく「なんで個人に天候を左右するだけの力があるなんて考えられるんだよ。神様気取りか」と雨人間の概念全般を揶揄して笑う人がいるけれども、裏を返せばそういう人は「原因型」の雨人間を無意識に想定しているのだと考えられる。

・「神様気取り」と言うものの、それは原因型雨人間の場合だけだ。「運命型」の解釈では意味合いがかなり変わる。運命型雨人間説の背景にあるのは決定論(あらかじめ全ての出来事が決定されているという考え方)だから、自由な意志を(少なくとも部分的に)否定していることになる。こっちの考えでは、雨人間は神様どころか運命の奴隷である。

・しかし「原因型」と「運命型」の違いなど本当はあるのだろうか。「そいつが雨を降らせている"原因である"」とは、どういう意味なのか? 「そいつは雨に見舞われる"運命にある"」とは、どういう意味なのか?

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