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「生まれてこなければよかった。反出生主義シンポジウム」2019年11月24日の日記

・なんかあと2時間後くらいにnoteのメンテがあってアクセスできなくなるみたいだから焦って書いてます。


・今日はこちらに行ってきました。いま一番ナウい哲学・倫理の理論、反出生主義についてのシンポジウム。


・ちょうど先月末の『現代思想』で反出生主義が特集されたばかりとあって、一部マニアの間では反出生主義はポケモン剣盾と同じくらいの盛り上がりを見せていると言ったら完全に嘘ですが、まあ流行っているのです。

・今回のシンポは入場無料で、興味がある人であれば誰でも侵入していいみたいだし、一回くらい学習院大学のやんごとない校舎をのぞいてみたかったのでお邪魔してきた。

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・校舎はけっこう普通の大学っぽい硬質な作りだったけど、森林公園の中に建っているみたいな佇まいが少し新鮮だった。


・警備員に道をたずねてシンポジウムが行われる校舎へ(怪しい動きをして警備員に呼び止められると恥ずかしいので積極的に警備員とコミュニケーションをとった)。


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・こんな道案内ある?


・確かに反出生主義の立役者であるベネターが出した本の題名は「生まれてこないほうがよかった」ではあるけど、なんの注釈もなしに矢印と一緒に貼りだしたら意味が変わってくるのでは?


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↖生まれてこなければ
 よかった


・シンポジウムの内容について。『現代思想』をひととおり読んでいるという前提ありきで、補足的な説明や新たな観点などを述べていくスピーチがメインだった。

・登壇者は、ベネターの本を訳した小島和男のほか、戸谷洋志、横田裕美子、吉沢文武、橋迫瑞穂。それぞれ30分くらいしゃべる。みんな観点が違っておもしろかった。思ってたよりみんな若くてビックリしちゃったな。小島先生なんか金髪だったし。以下、自分用のメモなど。

■小島和男
・ベネターはその主張の内容ゆえか、頑固に自説を押し通そうとしているという印象を持たれがちだが、実際は常に反論者からの論駁を待っているし、それに誠実に再反論する準備もしている。
・初めてベネターを読んだときは侮辱されているような印象も覚えたし一部の議論にはついていけなかったが、議論に向き合い勉強することでその気持ちはなくなっていった。
・子どもを作った親友に『生まれてこないほうがよかった』をプレゼントしたことがある(すごいことするな)

■吉沢文武
・べネタ―に対するよくある批判として「存在と非存在を比較すること(誰かが存在することと存在しないことを比べたときに、存在によって生じる害悪を根拠にして非出生を選ぶように差し向けるようなこと)自体への反対」が見受けられるけれど、実際のところ、上記のような「存在害悪説」以外の場面でもわたしたちはそういう判断をしてるよね? その方面の批判は筋が悪いのでは。
・べネターのような手つきで倫理を扱う、分析哲学的な態度は、ときに「知的ゲームとして」「論理パズルとして」倫理を弄んでいるかのような批判を被ることがある。しかし、ベネターの議論はむしろ、日常的な思考を左右しうる実質的な部分を精密に考えるようなものであって、決してありえない想定をもとにしたパズルゲームをやっているわけではない。

橋迫瑞穂
・自身は社会学者であり、哲学に関しては門外漢。あくまで社会学的な観点から見たべネタ―論である。
・ベネターの論の端々からにじみ出るミソジニー(女性蔑視)的な視点という問題点について十分に吟味されていないのではないか。男性社会を前提とした論の組み立てからベネターもまた逃れられていないのでは(これについては反出生主義の本質的な問題とはまた別の問題としてあるような気がする。聴講者のひとりだった森岡正博は、そういったジェンダー問題は彼の議論の核心とは無関係であると言っていた)
・反出生主義が俄にブームになりつつあることは、その思想がある種の人にとっての「癒し」になっていることを示していて、ここにスピリチュアル・ブームとの関連性が見いだせる。ピーター・バーガーのいうところの「防護用の天蓋」としての、反出生主義。

■戸谷洋志
・人類は存続させるべきである、というハンス・ヨナスの論とべネターとの比較。ヨナスの論は暴力的に思えるが、その暴力性はどの程度で、許されるべきなのか? また、ヨナスが暴力的だとして、べネターの論は暴力的ではないのか? を、生まれてくる者にとっての暴力に限定して論じる。
・ヨナスは人類の存続を前提とするので、子どもを作ることは義務である。そのため、強制的に生まれさせられる子どもがいることになり、その意味では暴力的である。しかし同時に、その生まれさせられる子どもがどんな固有性を持っているか、どんな「実存」を有しているかについては、親は選ぶことができない。それゆえに、親は実存についての責任をもたない。「なんで俺を生んだんだよ」と親にキレることは、本当はできない。親は、「俺」を選んで産むことが原理的に不可能であるから。
・同様に、べネタ―の反出生主義もまた、「非存在」を強制する点においては暴力的であるが、同じく実存に関しては接触不可能なので、その意味では「許されうる暴力」である(個人的にはこの議論が一番疑問を多く抱いた。最後の質疑応答で学部生の人が言っていた疑問「確かに親は実存の内容については選ぶことができず、それについて責任は負わないだろうが、そういった形で何がしかの実存を確実にひとつ存在させてしまうという点は事前に予期可能であるではないか」みたいなのとほぼ同じ疑問。これについてはいろいろ考えたいな)

■横田祐美子
・フランス現代思想の視点を持ち込んでベネターの反出生主義を論じる。
・デリダによる脱構築。二項対立図式から脱却して、「生まれるべき」「生まれるべきでない」という対立に与しない形で反出生主義を見直す。
・「幽霊」というデリダの用語を導入して、実態でも本質でも実在でもない、それそのものとしてはけっして現前しない「幽霊」として、反出生主義が論じるような「存在しない子どもたち」を考える。それについて絶えず思考を向け続けることこそ、デリダの言うような「倫理的態度」である。
・キルケゴール曰く、決断とは狂気である。決断は積極的な行動であると同時に、その決断を被るものでもある。決断は受動的な何かを抱えている。子どもを持つ/持たない、という決断もまた、ある種の狂気をはらんでいて、その決断には「幽霊」がつきまとう。


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・以上! 久々にちゃんとした授業っぽい形態に身を投じたので疲れた。もっと分析的な議論もあるかと思いきや、わりとそれぞれの専門家の世界観の入り口を見せてもらうようなイベントでした。哲学っていうのはほんとにみんなそれぞれ勝手に好きな言葉を使うので凄い。特に分析哲学とフェミニズムがかち合ってる瞬間の噛み合わなさとか迫力があった。理系の人が一番驚いて呆れる部分はここだと思う。もちろん、そうなってしまう必然的な理由もあるんだ(ろう)けど。

・個人的には、あまり現実における実際的な問題には興味がなくて、今日のシンポで何度も形容されていた「パズル的」な問題のほうに強く惹かれる。こういう態度は冷血な印象を与えるし、問題に本気で取り組んでいないようにも見えるんだろうけれど。たとえば今回の議論だと「生まれてくる子どもについて、それがどんな子どもになって、どんな人生を歩むかについては誰にもわからない」というような言い方をされることがあった。でも、それって現実がたまたまそうであるだけで、仮に完全なるデザイナーベイビーが可能で、子供の未来予知の精度が100%に近くなったとしても、反出生主義の問題の本質は同じように残されるんじゃないか、と私は考えている。あるいは、まったく別の観点として、地球外の生命体の出生についてコントロールする義務はあるかとか、自殺を奨励するような反出生主義の形態もあるはずとか、そんなことに関心がある。これはしかし、言わせてもらうなら、現実というもののたまたまさに準じた思考をすることが不誠実に思われるがゆえのことなんだよな。

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同じ地球出身として、誇らしいです
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株式会社バーグハンバーグバーグのライター。品田遊として、コルク所属の小説家。ほかいろいろやっています。
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