子どもはなぜ嘘つきか
(月刊まんがくらぶ 2014年2月掲載のコラムに加筆と修正を加えたものです)
大人は嘘つきで、子供は純真である。なぜなら、子供は大人のように汚い世界を知らないから、すなおな目でものを見ることができるのである……
と、さすがにここまで断定している人はあまりいないかもしれない。それでも「子供は純真」というイメージは未だに根強いものであるし、テレビドラマとかを見ていても、大人がギクリとするような真実を子供が無邪気に言う、というシーンはよく見かける。
だけれど、子供の頃の自分が純真だったかどうか振り返ると全く自信が持てない。それどころか、幼少期の自分のほうが嘘つきだった気さえしてくる。そして、これは僕が特別イヤな子供だったというわけではなく、一般的にそうなのではないか。
学校で、課題図書を読まされる。押し付けられた本だから読んでもあまり楽しくない。でも感想文には「おもしろかったです」と書く。嘘である。こういう子供は多い。なぜ、こんな嘘を書くのだろう。
子供は大人よりも知っている言葉が少ない。だから、思ったこと、感じたことがあっても、それを言葉にするためには少ない語彙を駆使する必要がある。それに、コミュニケーションの経験も浅いから、どんな言葉がどんな反応を引き起こすかもよく知らない。
退屈な本を読んだとき、大人なら「展開がわかりきっている」とか「作者の態度が尊大」とか、理由を示す言葉を知っている。話に筋が通っていれば批判が説得力を持つことも知っている。子供は違う。退屈な本を読んで「なんかつまんないなー」と思う。でも、その理由を言葉にするだけの分析力も、語彙もない。でも「つまんなかった」とだけ書くと、読む大人がイヤな顔をすることだけは分かる。それでもうめんどくさくなってしまって「おもしろかったです」でいいや、となる。ある意味で子供にとって合理的なのだ。
考えてみれば、少ない言葉で本当のことを言うのは、大変な労力である。三歳くらいの子は「怪獣を見た」みたいなことを平気で言う。本当は「空想で怪獣を見た」だったとしても、そもそも「空想」という概念がないのだから、説明しようがない。語彙の少ない子供は構造上、どうしても嘘つきになってしまうのである。
だから、大人は正直でいられるはずなのだ。たくさんの言葉を知るのは、本当のことを言えるようになるためなのかもしれない。
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