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「leap」2019年10月18日の日記

短編:リープ

 仕事で取り返しのつかない失敗をしてしまった。頭を抱え、どうか時間よ巻き戻ってくれと強く念じたところ、さっきまで夜だったのが朝になっていた。テレビをつけたら知っているニュースばかりが流れている。日付を確認する。今は昨日の朝だ。

 なんと、僕はSFでよく見るタイムリープの力を手に入れてしまったらしい。さらに頭を抱えて「3日前に戻れ」と念じてみた。即座に3日前に転移していた。

 時間はいくらでも遡れるのだろうか。そう思ってまず頭に浮かんだのは、小学生のときに池に落ちて死んだクラスメイトの女子のことだった。春の遠足のさなか、いつのまにか水面に浮かんでいた白いブラウスの背。僕は彼女のことが好きだった。

 この力があれば、彼女を救えたかもしれない。

「20年前に戻れ」

 強く念じて目を開けると、懐かしい天井が目に入った。実家の木目だ。慌てて手を見る。小さい。子どもに戻っている。僕は11歳になっていた。

「そろそろ起きなさい。今日は遠足でしょう」

 台所からまだ若々しい母の声がした。「うん」と答え、着替えながら目的を思い出す。彼女が池に落ちる前に助ければ未来は変わるはずだ。それをやり遂げなければならない。

 懐かしい面々に囲まれながら遠足に参加した。彼女はちゃんとそこにいて、生きていた。長いまつげは記憶よりも美しかった。

 本来の歴史だと、自然公園の自由散策時間に事故が起こっている。なるべく彼女から目を離さないように気をつけなければ。僕はさりげなく彼女の後ろについてまわることにした。

 彼女は単独行動を好むタイプで、この日もひとりで日陰を歩いていた。遠巻きに眺めていると、彼女が予定の記されたしおりをかばんから取り出そうとした。その時、風が吹いてしおりが飛ばされ、近くの池に落ちた。

「あっ」

 彼女は思わず腕を伸ばし、その拍子に体のバランスを崩した。僕はその体を抱きとめ、草の上に下ろした。あっけにとられた顔が僕を見つめている。

「あ、ありがとう」

「良かった、間に合った」

 どうにか、彼女の命を失わずに済んだ。僕は安堵感に包まれた。本当に良かった。彼女が生きている。これからも生きていくことができる。

 これがきっかけになり、僕と彼女は親密になった。中学に上がる頃には、もはや付き合っていると言って差し支えのない関係になっていた。だが、中学2年の夏に彼女は死んだ。駅のホームに落ちて電車に撥ねられて死んだ。後ろに並んでいた男が突き飛ばしたのだ。男は「むしゃくしゃしていて、誰でもよかった」と月並みなことを言っていた。

 僕はまた時間を巻き戻し、彼女が電車に乗らないように電話で仕向けた。その日の夕方に流れたニュースでは、誰か別の人が電車に轢かれていた。

 僕と彼女は同じ高校に進学した。高校1年の秋に彼女は死んだ。下校中に飛んできた野球部の硬球が当たって死んだ。頭部から血を流して横たわる彼女を見て、迷わず時間を戻してから僕は青ざめた。なぜ、こんなに何度も彼女は不運に見舞われて死に続けるんだ。まるで、死の運命に魅入られているかのように。

 だけど僕は諦めるわけにはいかなかった。僕は彼女のことを愛していたからだ。並んで歩く彼女の横顔を見ていると、何がなんでも死なせてはならないと感じる。死のきっかけが彼女に忍び寄るたび、僕は時間を戻してその気配を振り払った。

 24歳の冬、僕と彼女は結婚した。こうなることが目的ではなかったが、ずっと一緒に暮らせば、彼女に迫る危険にもいち早く気がつける。僕と彼女の生活は順調に過ぎていった。

「ただいま」

 仕事を終えた僕が玄関から声をかけるも、いつもなら聞こえてくる「おかえり」がない。でかけているのだろうか。何か嫌な予感がして、早足でリビングへ向かう。部屋の真ん中で彼女が首から大量の血を流して倒れていた。右手には果物ナイフが握られている。

 僕は血相を変え、彼女の名を叫んで駆け寄った。

「おい……おい。どうしたんだよ。いま救急車を呼ぶからな」

 彼女の白い肌はいつも以上に蒼白になっていた。小さな口が力なく開閉している。何かを伝えようとしているように見えた。僕は耳を近づけた。荒い呼吸の隙間から言葉が聞こえてきた。

「………くん」

 僕の名前を呼ぼうとしている。

「………くん…………」

 出血がひどく、衰弱が激しい。もしかしたら、今回も助からないかもしれない。僕は心のなかで密かに覚悟していた。いったい誰がこんなことを。なぜ、彼女はこれほど死に狙われているんだ。

「もうすぐ救急車が来るよ、もう少しだからね」

「……くん」

「え?」

「………よ」

 その直後、僕を見つめる瞳から生気が失われた。もう、呼びかけにも答えない。彼女は死んだ。


 警察の話では、人に襲われた見込みは低く、自殺の可能性がかなり高いという。僕は話を聞きながらもうわの空だった。ぼんやりした頭で、ずっと彼女が最後に残した言葉のことを考えていた。

 僕はひとりになった。また強く念じれば時間を戻せるはずだ。そうすれば彼女はよみがえる。しかし、もうそんな気は起こらなかった。最後に彼女はこう言っていたのだ。


「しつこいよ」




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・以下は激みじか日記です。

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