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自由連想法による文章練習【10】

 夢のなかで死んだ祖母は実際にぼくの祖母だった人ではなく 森光子に似た小柄な人だった しかも夢のなかで森光子に似たその人との思い出を回想しようとすると 森光子に似たその人の顔ではなく 瀬戸内寂聴の顔が思い出された 祖母はぼくの目の前で座り込むようにゆっくり倒れた 場所はジュエリーショップか何かの綺麗な店内の床で 座り込んだり横臥したりするような場所ではもちろんなく 要はだから倒れたのだと判断したぼくは 急いで駆けよって祖母を抱きかかえ 店員の一人が救急に連絡しているのが聞こえたからそれは良しとして だからじゃあお前は家にいる母に連絡しろと 狼狽えすぎてまったく動こうとしない目の前の妹に少し怒鳴り口調でいった 妹が電話をすると母は「ウソだ!」とドラマの演技のような奇声をあげて 電話ごしに聞こえたその声の主が母だとは一瞬本気で思えなかったが 少しして妹と電話をかわって話したときの母はぼくが知っているいつもの母に間違いなかった しかしそもそも妹はまったく違って 確かビデオか何かのCMでドアップの泣き顔をしていたまったく名前はでてこない若い女優だったが ぼくとしてはその女優ではなく 何かの車のCMで「そーゆーとこなの!」と言うこっちにしてもまったく名前が出てこない泣き顔アップの女優と同い年くらいの女優のほうが 要は後者のCMのほうが好きだったぶん妹であってほしかったと思った というかそのあと妹とどこかの山沿いのガードレール近くで話をしていたときには すでに妹は「そーゆーとこなの!」の女優のほうにかわっていた 最近彼女はお笑い芸人のロッチのメガネのほうと同じ車のCMで共演していて「いつまでたっても上の名前と下の名前がおぼえられない」とかそんな感じのオチ台詞をいっているが 前のほうが100倍おもしろいと個人的に思っているぼくは 最近ようやく児童公園の写真を撮って しかしそれをまだ数えるくらいしか見返していない といっても桜とトイレが写っている写真が総合的にみて一番良いのは じっくり見なくても誰にでもすぐわかることだった ブタヒロと豊岡がタバコを吸っていたそのトイレは男女が一応分けられていたが ちゃんとした仕切りはなく繋がっていたはずで ブランコも4台が2台になっていた そもそも桜の下のホームベースにしていた公園の入り口ちかくのベンチにすわってしみじみしたのさえ10年以上前だったことを思い出したぼくは さらに今から28年前に小学6年生だった自分たちが今はそうでないことがやっぱりなんとなく信じられないというか 確かちょうどその頃そのホームベースちかくでジャンプを読んだぼくはそのときはじめてフリーザを知った 宇宙最強のフリーザはやがてベジータを殺し 悟空を苦しめ 悟空の仲間も殺し 悟空を覚醒させたが そこまでのすべてが児童公園の記憶と共にあるわけではないどころか ギニュー特戦隊のときには中学生だったぼくたちは すでに児童公園にはいかなくなっていた 一方でここ最近頻繁に頭のなかで流れている「スプーンおばさん」は何歳ごろだったか?ぼくはまるで憶えていない もしかしたら「コンピューターおばあちゃん」の歌と同時代だったかもしれず だとしたらぼくはまだ保育園児だったかもしれず そしてその「スプーンおばさん」の歌が頭から離れないことを妻にいったら 妻は「ふふ」と一瞬笑ったきり 寒いこととイワナの屋台がなかったことの落胆にすぐ舞い戻っていった 目の前と後ろにいた2組はどちらもレジャーシートを敷いてしっかり花見をしていて ぼくもまたいつかそうしたいと思ったが それはそうと桜とその桜の隙間からみえる月と祭りのぼんぼりは大昔から何もかわっていない気がして そのことも妻にいったが 妻はたぶんまた何もいわなかった そう そんなことがさらに何度か繰り返されて 結果やっぱり軽くとはいえ口喧嘩をした後の修復のために 翌日もう一度イワナの屋台を探したらあったぼくは そこでイワナを一匹のほか別途セブンで骨酒用のワンカップも買い その途中に自転車のカギを落として拾うことを3回もした 昼間の合浦公園は本当にここは合浦公園か?と思うほどにぎやかで 中でも猿小屋方面の池のちかくにあったモンゴルのゲルのような超巨大なテントにぼくは見入った 同じくその池のちかくの屋根がある休憩スペースでカップラーメンを食べていた老女にも軽く見入ったというか そのカップラーメンの種類がなにか?を見定めようと しかしそれが叶わないままそこを通りすぎたぼくは いつもいくユニバースのレジのある一人の女に見覚えがある気が突然して じゃあ今度その女のネームバッジをこっそり見てみようと思ったが 苗字がかわっている可能性が高いだろうと思い直すや すぐにどうでもよくなった 確か「小山内」という苗字だったその女はぼくを追いかけ回し 一方でぼくはというと 米山を追いかけ回していた ぼくが米山を最後にみた場所は 右脇の壁に小便をひっかけてしまったことを小池のせいにした小池がむかし住んでいた県庁官舎の前だった そう 雪もまだけっこうたくさん残っていて ぼくはやがて生きているのが辛い時代に突入した あんな状態でよくもう1年間も高校に通えたなあと今さらながらつくづく思う しかしそれで培ったはずの忍耐は実はまったくそういうことではなかったらしく 高校を卒業したぼくは何度もバイトをやめまくった 当時杉並区の阿佐ヶ谷に住んでいたぼくは すぐに阿佐ヶ谷が好きになり 青森と島根を差しおいて阿佐ヶ谷を第一の故郷にしてしまいたいほどだった だからぼくはまた無理やりでも阿佐ヶ谷に住んでしまうかもしれない しかしそうはできないだろうとも思っていて ただ昨日ようやく1冊とはいえ本が売れたことで 少々舞いあがり気味の今のぼくの頭の中は つまり理想と現実がけっこう無茶苦茶に混合している いや いうほどそうではないにしても とにかくちゃんとしたバイトをしてでもまた阿佐ヶ谷に住みたいと思うかもしれず しかしそんなことはもうあまりどうでもよかった というのも 阿佐ヶ谷に住んでいたときのことをすでに飽きるほど思いだしていたぼくは 阿佐ヶ谷の北側に住んでいて そもそも阿佐ヶ谷に住むことを決めたのは 「このへんでいったん降りよう」と飯田がいったからだった そう ネットで見つけた脳外科は その飯田が中一のある日にぼくの顔にむかって思いきりクシャミをした今すき家がある場所のちょうど真裏あたりだった ぼくは飯田と今もある新町の刃物屋で買ったナイフと警棒のうちのどっちかかどっちもで ある家の庭先に咲いていたチューリップをメタメタになぎ倒し その一部始終をみていたらしく追いかけてきた今のぼくと同じくらいの年齢のおじさんから逃げようか?と一瞬迷うも 一応おとなしくつかまった プール脇の駐輪場で自転車を盗もうとしてばれたときもぼくと飯田は一緒にいた そもそもぼくが猫かぶりだったことを本田薫は見抜いていて つまりぼくは何気にマークされていた だからぼくは学年集会のあとの帰りの下駄箱で本田薫と目が合った瞬間完全に終わったと思ったが奇跡的にそうならず とはいえ玉造のお婆の家に泊まったときに宇宙飛行士になる夢を完全にすてたぼくは 同時に高校にはいってからまったくついていけなかった数学のみならずぜんぶの科目をすっかり完全に放棄して留年した 飯田はというと 高校をやめて一足先に東京へいった だからぼくは「このへんでいったん降りよう」といった飯田に黙って従った 

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