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虚偽死
ある無名作家が、インターネットのブログにこんな日記をつけた。
六月一日
いま執筆中の小説を書き上げて、ブログを整理したら死のうと思う。といっても、たぶんまた思い直すに違いないが、それでも以前に比べると死をつよく意識するようになった。この一ヶ月が山場だ。今書きかけの小説を書き上げることと、ブログを整理することは、最低かならずやっておかねばならない。
その他にもやることは結構ある。恥ずかしい文章はぜんぶ削除して、念のためパソコンを水につけて粗大ゴミにだす。服や本は、弟と雄介にあげて、遺書はこの日記で十分だから、いや、もう一つ別に用意したほうが良いかもしれない。遺影はどれを使ってほしいとか、火葬だけでいいとか、こまかい要望をそれに書けばいい。
まだ死ぬつもりはないが、もしそうするとしたら、迷惑のかからない場所で、できるだけ楽に死にたいと思う。プリンタは中田にあげよう。
六月二日 晴れ
妻はどうするか。できるだけ金を用意してやりたい。できれば百万。もし僕が死んだのをきっかけに、今まで書いたものが少しでも売れたら、その分の印税はぜんぶ妻にあげてほしい。残った分が家族だ。
配当は弟よ、ぜんぶ君にまかせる。といっても、そんなになるわけないか。でももし、一千万くらい印税が入ったら、そのうちの五百万は鳥谷部さんに渡してほしい。一千万の配当としては、鳥谷部さん五百、妻三百、家族二百とするのが理想だ。
あと、安部くんに十万と、正治さんに三十万、淳二くんに三万、これは家族の分から差し引くように。借りたものだ。携帯をみれば誰が誰かをすぐわかるようにしておく。あと古川くんにも十万かな。
もし印税が百万に満たなかったら、四人には返さなくてもいい。ぜんぶ妻にやってくれ。文句をいう彼らではない。妻には最低百万は保証したい。
六月三日
私が死んでも、たぶんあまり驚かれない。妻や友人は悲しむだろうが、両親はむしろほっとすると思う。でも、それは悲しいことではない。私の死を誰がどう思おうとそれはいい。
重要なことは、私がいま執筆中の小説がどう評価されるかということだけだ。ずっと残ってほしいと思う。いつまでも評価され続けてほしいと思う。そういうものに私はこれから仕上げるつもりだ。自信はある。駄目ならしょうがない。とりあえず、いつ誰でもすぐに読めるような状態にはしておきたい。このブログもそうだ。
それらを管理するのはぜんぶ弟に任せる。私の書いたものを読んで、なにかに気づき、なにかを改めることを誰一人でもしてくれたら、私はそれで満足だ。
六月五日
生き続けて、さらに経験を積んでもっと良いものを書く努力をするべきか、死んで小説に付加価値をつけるほうが得かということを、僕はずっと考えてきた。しかし、後者しか選択の余地がないことはわかっていた。金がないからだ。
金はくれと言っても、そう簡単にもらえるものではない。それ以前に、そう簡単にくれと言えるものではない。それを言うには、ほんとうにものすごい労力と精神力を使う。僕はそのたびに胃潰瘍になった。でも僕は言った。だれかれ構わず金の無心をした。それは小説を書くよりも辛い作業だった。
金の問題はいつも僕を悩ませた。金がないために僕はアパートも借りられず、食べることもできず、書き続けることもできず、死ぬのだ。金のために僕は滅びるのである。
六月七日 雨
僕が死ねば、誰かが悲しむ。言ってくれれば金をかしてやったのにと思ってくれる人もいるかもしれない。しかし、これ以上かしてくれとはいえない。頼む力がもうない。だから死ぬのだ。努力が足りないことはわかっている。何をするべきかもわかっている。しかし、それをする力も勇気も僕にはない。
小川を脅して金をとればすべて解決する。親や友人を殴ってでも金をとるべきなのだ。本来は。でも僕にはそれができない。僕は孤立することを恐れている。真の改革者ではない。真の改革者は、友人を殴り倒して金を奪うことに躊躇はない。どれだけ軽蔑されても彼はそうするし、おそらく親を殺してでも金をつくり、改革を実行する。彼の改革に是非はない。それは絶対だ。少なくとも僕は従う。そういう人に僕は出会いたかった。
六月八日 雨
仕事をやめたことをおもしろおかしくブログに書くたびに、友人たちは笑った。彼らは、そんな僕を通じて、仕事や家庭でのストレスを発散し、そんな僕に希望すらもった。だから僕は、仕事をやめることをやめられなかった。
ブログを休止すれば、少しは仕事が続くかもしれないと思った。その通りだった。久しぶりに一年仕事が続いた。それで貯めた金で、僕は妻と新しいマンションへ引っ越した。築年数は古かったが、そこそこ広く日当たりも良いそのマンションを、妻は気に入り、喜んでくれた。しかし、友人たちはブログを再開するよう迫った。僕はそれに従った。迫られることを期待もしていた。そしてまた仕事が続かなくなった。ブログは好評だった。友人たちは笑い、妻は泣いた。
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