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金はお前が稼げ!

 よくよく考えましたが、やはりこれは犯罪です。わたしが全財産を奪われ、人生を無茶苦茶、いや、棒に振るったことは紛れもない事実なのです。しかし、この犯罪は、罪名を特定することは愚か、そのために起訴することもできず、もっとも被害者意識の強い人にさえ、「事件」として認めてもらえるかあやしい極めて特殊な犯罪です。
 実際、わたし自身、自分の身になにが起こったのか、まだよくわかっていません。いや、起こった事態は理解しているし、その原因もよくわかっているのですが、なぜわたしがその事態を受け入れてしまったのかを、うまく説明できないというか、わたし自身にもわからないのです。こんな言い方をすると、正気を疑われるかもしれませんが、わたしは至って冷静です。
 おそらく、わたしはそれほど無能な人間ではないと思います。毎日新聞も読みますし、サラリーマンなのでビジネス書を中心ですが、一ヶ月に十冊程度の本も読みます。歳は三十四です。それなりに人付き合いもしてきましたし、結婚もして、息子も一人います。少しは、人生が何たるか、自分という人間がどういう人間かを理解しているつもりです。
 しかし、実はまったくそうでなかったことが、今回の事件で思い知ったのです。これまでわたしが経験し、見聞きしてきたことのすべてを合わせても、到底、理解できないある別の世界の常識に、それが一体何であるかをまるでわからないまま、わたしは無意識に従ったのです。
 結論から言うと、わたしは野口という何のとりえもない無職の男に、うっかり全財産をくれてやりました。
 そう、「うっかり」です。わたしは野口に、うっかり酒を飲ませ、うっかり飯を食わせ、彼の生活のぜんぶをうっかり請け負い、そのためにうっかり借金を重ね、そして、うっかり破産したのです。つまりわたしは、彼のためにうっかり人生を棒に振るったということになりますが、このことは、わたしの意思とはまったく関係のないところで、そうなるように仕組まれていたのかもしれません。
 念のため断っておきますが、わたしは騙されたのではありません。もちろん、彼に全財産をくれてやるほどの恩や義理があったわけでもないし、彼になにか特別な弱みを握られていたわけでもありません。わたしはただ本当に、うっかり人生を棒に振るったのです。
 そして、事態はいよいよ深刻で、わたしは寝たきりとなり、今は俗にいう廃人のような生活を送っています。なにか重い病気を患っているのではありません。体は至って健康ですが、動けないのです。鬱とかではないと思います。
 わたしの実家は、母一人、子一人の母子家庭で、母は、わたしが幼い頃に亡くなった父が残した小料理屋を、一人で切り盛りしていました。その上、昼間はパートへ行っていたので、母と過ごす時間はほとんどありませんでしたが、パートから帰って夜の仕事に行く間のわずかな時間で、毎日必ず一緒に夕食を食べました。幼心ながら、そんな母の苦労を肌で感じていたわたしは、母への愛情を深くする一方で、そういう生活に対する子供なりの不満もあり、とくに思春期のころは、そのために母を困らせることもありましたが、貧しいながらも大学までいかせてくれた彼女のおかげで、わたしは地元の信用金庫へ就職することができました。
 入社したての当時は、無邪気な野望もあったせいか、目の前の雑務が仕事と思えず、なんども辞めたいと思いました。日々働かされている感が拭えないのを職場のせいにし、加えて、人間関係にもひどく悩んでいたわたしは、母の期待との板挟みの中で、それなりの苦労を強いられていました。しかし、母のため、これからの自分のためにも、わたしはその苦労を受け入れるしかありませんでした。また、わたしには婚約者がいました。とり立てて美人というわけではない普通の女性です。しかし、わたしには特別な人でした。
 二十代も後半にはいって、ようやく仕事というよりは社会にもなれ、そろそろ結婚して、孫の顔でもみせてやれば、少しは親孝行ができるだろうと思い、わたしは以前にも増して懸命に働きました。その甲斐が実り、わたしは二十七歳で支店長に昇進しました。至上最年少の支店長ともてはやされたわたしは、もちろん悪い気はしませんでした。そして、ありがたいことに、結婚に先立ち妻が自ら、母も一緒に三人で暮らそうと言ってくれたのです。母のことがずっと気がかりだったわたしにとって、彼女の一言がどんなに嬉しかったか。もちろん、母も喜んでくれました。その後、彼女と結婚し、息子が生まれたのを機に家を新築して、家族四人で幸せに暮らしていました。そう、なにもかも順調でした。
 しかし、今のわたしには、もう何事も重要ではありません。そのことをわたしは知っています。だからわたしは、今日も食事をとったら寝ます。明日もそうです。できることなら、もう二年くらい寝て過ごしたいと思います。すでに競売にかけられたこの家を、来週中にも出て行かなければならないことなど、今のわたしには大した問題ではありません。もちろん、金も、金目の物もありません。そして何より、わたしにはもう働く意欲がありません。来月から母に支給されるはずのわずかな年金をあてにしている始末です。かといって、わたしは決して落ち込んでいるわけではありません。むしろ今まで以上に、わたしの心は充実しています。
 これを一体どう説明すればいいのか・・・・・
 妻にも、何をどう言って良いかまるでわかりませんでした。いくら考えても、彼女を納得させるだけの言葉は愚か、そのための手掛かりすら一言も思い浮かばず、それはきっと、自分のせいではなく、彼女が無能だからに違いないと決めつけたわたしは、ただもうやけくそに、ひどい剣幕で、別れ話を切り出した記憶があります。妻は、わたしが何を言っているのかまるでわからない様子で、わたし自身も、そのあと何を口走ったのかよく憶えていませんが、お互いしばらく沈黙してから、妻がわたしをなだめるように「どうしたの?何かあったの?」と聞いてきても、わたしは満足に返事をするどころか、「お前は頭が悪いからそんなこともわからないんだ!」と、なぜか彼女を叱責しました。そのせいで、隣の部屋で寝ていた一歳の息子が泣き出し、慌てて我に返ったわたしは、「もう何もやる気がおきない。ひどい鬱病に犯されたみたいだ」と言い直してみたものの、実際わたしの心は満たされていたので、その理由もしっくりきませんでした。すると妻は、「達也はどうするの?」と聞いてきたので、「そんなくだらないことはぜんぶお前に任せる」と、自分でも思いがけないほど冷静に、あれほど愛していたはずの息子のことすら、もはやどうでも良く考えている自分にわたしは驚きました。その妻が息子をつれて出て行ったのは、ちょうど一ヶ月前のことです。
 それにしても、本当にこの事態は深刻なのでしょうか・・・・?
 もちろん、深刻であることには違いありません。しかし、わたし自身が、自らこの事態を望んだことも事実なのです。こうして考えると、やはりわたしは頭がおかしくなったように思います。しかし、それは断じて違います。わたしは、自分が正気であることを確信しています。ただ、それを証明することができないのです。唯一わたしを見捨てないで傍にいてくれる母も、今ではもうなにも言いません。たまに食事をもってくるときでさえ、一言も声をかけてこなくなりました。母の絶望し切った顔を見るたびに、ほんとうに申し訳ないと思います。
 すべては野口のせいです。いや、野口のおかげです。確かに、彼はひどい人間です。わたしの知る限り、あれほど冷酷な人間はいません。しかし、彼ほどわたしを幸福にさせてくれた人間が他にいないのもまた事実です。この世界には、彼にだけ許された矛盾が存在するのです。わたしにはそれがわかるのです。野口のせいで破産し、人生が滅茶苦茶になったことは事実です。しかも、最近の彼は、これだけ世話になったわたしに連絡の一つもよこしません。数年前にたった一度だけ「どうですか最近は?」と、まるで他人事のようなメールを送ってきただけで、そのためにわたしは彼を恨んだり、殺してしまおうかとまで考えたこともありますが、しかし、殺意はもとより、わずかな恨み言さえ、いつの間にか消え失せてしまうのです。
 野口。彼はいったい何者なのか?
 言うまでもなく、ただの凡人です。天才でもなければ、英雄でもありません。高校の同級生です。ただそれだけの男です。わたしが単身赴任で上京してすぐに、たまたま新宿の路上で再会し、一緒に酒を飲んだだけです。

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