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希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第十一話

 ゆかりは、平静に言い、コーヒーを啜る。
「一ヶ月前に突然現れたの」
 ゆかりの話しによると孔雀会は齧った林檎から青虫が飛び出すくらい唐突に出現したのだという。
 元々が怪しいテナントだらけの雑居ビル、道ゆく人も駅前の交番も部屋を貸し出したビルのオーナーですら窓に孔雀会の文字が現れるまでその存在に気づいてなかったのだという。
 そして気づいた瞬間に当然のように慄いた。
 孔雀を見てカーマ教を思い浮かべない日本人はいない。
 近隣の自治会、や商店街組合、民事に関わらない警察までもが撤退するよう抗議に赴いたのだと言う。
 その結果……。
「奴らは出て行かなかったと……」
 カギは、思わずコーヒーのカップを握りつぶしそうになる。
 しかし、ゆかりは首を横に振る。
「和解したのよ」
 ゆかりの言葉をカギは、理解することが出来なかった。
 ゆかりもカギが理解できていない事を承知の上で話しを続ける。
「うちのお客さんに実際に乗り込んでいった自治会の役員さんがいてね。その人に聞いた話しなんだけど……」
 自治会役員たちが乗り込んだ時、その場にいた孔雀会の代表や会員たちは一斉に土下座をしたと言うのだ。
 そしてこう叫んだと言う。

 私達の同胞が皆様にご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした。

 その場にいた役員も商店街組合も警察も思わず唖然としてしまったと言う。
「パーフォーマンスだろ。そんなの」
 カギは、吐き捨てるように言う。
「生き残るためなら、助かるためなら人間はどんなことでもする」
 実際、カギはそんな人間たちを何人も見てきた。
 命乞いをする奴、嘘を吐く奴、殺そうとする奴、そして恐怖と絶望に心も記憶も閉ざし、人形のように従ってしまう人……。
 カギは、皮膚が千切れんばかりに唇を噛み締める。
「役員さんたちも最初はそう思ったんだって」
 ゆかりは、パイの端を齧る。
 しかし、彼らの話しを聞いているうちに嘘を吐いていない、そう思ったと言う。
 彼らの代表はこう言った。

 我らか慕い、崇めていた教祖も指導者は間違ったことをしました。
 確かに我らは欲のままに生きることを主教としておりました。
 しかし、それは夢を追うことであったり、生きる目的を持つことであったり、命を守るためであったりと自らも他者も幸せに導くためのもの。
 決して私利私欲に走るためではありません。
 我らが祀る神もそんなことは一言も謳っておりません。
 矛盾しておりますが欲が彼らを変えました。
 それを止めることが出来なかった我々もまた罪人です。
 本来なら影日陰に身を置き、二度と表に出ないことこそ誠意なのでしょう。
 しかし、我々は弱い人間です。
 一人では生きていけない。
 私達にもまた同じ志を持つ仲間が必要なのです。
 皆様にご迷惑はお掛けしません。
 布教活動なども行いません。
 ここにいる仲間たちと語らうことが出来ればそれで私達は満足なのです。
 どうか……どうか我々から居場所を奪わないで下さい。

 それは地獄の淵に堕ちて神に許しを乞う亡者のようであったと言う。
「そんな戯言を信じたのか?」
 カギは、鋭い目をきつく細めて孔雀会の窓を睨む。
「信じざるおえないでしょう?」
 ゆかりは、ふうっと息を吐いてコーヒーを飲む。
「私の又聞きじゃ響かないかも知らないけど、実際に聞いた役員さんも警察も真に迫る言葉に心を打たれたそうよ」
「宗教家なんて相手を納得させる説法を問いてなんぼだろうが」
 役員や警察たちの人の良さに辟易する。
 そんな戯言に惑わされて危険分子を自分達の懐に入れるなんて。
「実際に彼らは約束を守ってるそうよ」
 布教活動なんて一切行わず、借りたテナントに篭ってコーヒーやお菓子を食べて語り合ってるだけらしい。神様を崇めるような儀式もせず、警察の週に何回かの立ち入りも喜んで受け入れているそうだ。
「見て……」
 ゆかりは、雑居ビルの入口を指差す。
 数人の男女が箒やちり取り、トングを持って外に出てくる。
 デニムやスウェット、スカートとまちまちだが皆、可愛くデフォルトされた孔雀の描かれたTシャツを着ており、彼らが孔雀会……カーマ教の元修験者であることを語っていた。
 男女は、手に持った箒やちり取りを使って道路のゴミを掃き、トングを使って空き缶やペットボトルを拾ってゴミ袋に入れている。
「毎日、この時間になると彼らはゴミ拾いを始めるらしいの。雨が降ろうと、道ゆく人に白い目で見られても、暴言を吐かれても止めないんだって」
 確かに道ゆく人たちは彼らがゴミを拾っている姿を見ても感謝どころか離れたところから白い目で観察し、ここからでは聞こえないが何人かが罵っているような姿が見え、中には業とゴミを投げ捨てる者までいた。
 それでも彼らは頭を下げて、身を小さくしてゴミ拾いをする。
 いつか認められるように、救いの手が差し伸べられるのを待つように。
「あんなのを見てもあんたは信用しないでしょう?」
「当然だ」
 カギは、温くなったコーヒーを飲み干す。
「一欠片も信用に値しない」
 そしてやはり自分はハコの側を離れるべきではないのだ、と改めて感じ、カギは席を立とうとする。
「でも、彼らはあんたとハコも狙わないよ」
 カギは、冷たい目ゆかりにを向ける。
「正確に言うと……そんな余裕もメリットも彼らにはないってところかな」
 ゆかりは、コーヒーを両手で囲んで啜る。
 カギは、ゆかりの言葉の意味が分からず眉を顰める。
「彼らは世間から冷たい目を向けられ、常に監視されている。警察だって危険視して何か起きたら真っ先に動ける体制を整えているはず。さすがに二の鉄も三の鉄も踏むほど愚かじゃない」
 ゆかりは、掃除している元修験者を睨みつけるように監視している警察を見る。
「彼らは常に世間という冷たい牢獄の中にいていつ殺されるかとビクついている。そんな彼らが幾ら棲家を潰した張本人とは言え一番分かりやすいあんた達に手を出すなんて思えない。そんなの威嚇でミサイルを撃って相手を意味なく刺激する愚かな行為と変わらないわ」
 ゆかりは、コーヒーを飲み干す。
「彼らは、あんた達に手を出さない。もし出したとしてもそれは自分達の破滅を意味する愚かな行為。だから……」
 ゆかりは、ポンとカギの肩に手を置く。
「あんた達は怯えることなく普通に暮らしなさい」
 そう言ってにっこり笑う。
「怯え……?」
 カギは、鋭い目を大きく開ける。
 俺が……怯えている?
「あんたはこれからもハコと一緒に幸せに生きてくのよ。堂々としなさい。鍵本義一!」
 そう言ってカギの胸を小さな拳で叩く。
「ハコと一緒に幸せになりなさい!」
 カギは、自分の目から冷たい何かが流れるのを感じた。
 ゆかりは、カギの顔を見て驚く。
 カギは、自分の目を触る。
 涙……涙だ。
(そうか……俺は……怖かったんだ)
 また、ハコを失うのが怖かったんだ。
 だから、ずっと気を張って……。
 カギは、席に備えられた紙エプロンを取ると顔をゴシゴシ拭き、鼻を噛む。
 ゆかりが露骨に嫌そうな顔をする。
 カギは、飲み終わったカップとゴミを持って立ち上がる。
「ありがとうよ。ゆかり」
 カギは、ゆかりの頭にぽんっと手を置く。
 まるでハコの頭を撫でるように。
 ゆかりは、頬を赤く染めたカギを見上げる。
「気持ちが少し晴れたよ」
 そう言ってカギは、笑い、ゆかりから手を離すと背を向けて歩き出す。
「ちょっとどこへ?」
 ゆかりが声を掛けるとカギは振り返って顔を顰め、ポケットからスマホを取り出す。
「もう時間だ」
 そういって階段を降りていく。
 ゆかりは、慌てて自分のスマホを確認し、ゴミを片付けるとカギを追いかけた。
 二人の顔には小さな笑みが浮かんでいた。

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