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希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第十八話

 夏休みに入った。
 しかし、大人達の生活にそれはあまり大きな影響を及ぼさない。仕事と言うのは夏を迎えたから無くなる訳ではなく、一般的にはお盆休みが来るまでは大人に取っての夏休みは来ないし、職種によってはお盆休みなどと言うものが存在しないものもある。
 カギのキッチンカーがいい例だ。
 特に夏休みはキッチンカーに取っては稼ぎ時でカギも熱い小籠包しょうろんぽうだけでなくかき氷やアイスキャンディ、ラムネ等を売ることで売上を好調に伸ばすことが出来た。
 夏はカギの商売に大きく貢献してくれる……と同時に困らせてもくれた。
「ハコも夏休みしたい!」
 夕方、勉強を終えたハコをダリア婦人の屋敷に迎えに行くといつもは笑顔でカギの胸に飛び込んでくるハコがむすっと可愛らしく頬を膨らませてカギを睨んでくる。
「夏休み?」
 カギは、鋭い目を顰めて頬を掻く。
 ハコは、うんっと思い切り頷く。
「ハコ夏休みしたい!」
 カギは、鋭い目を細めてそうなった原因であろう三人を睨みつける。
 カンナは、ニコニコと笑って「なっつやっすみー!」と右手を応援するようにシュッシュと伸ばす。
「そっかぁ。そうだよねー。ハコも夏休みしたいよねぇ」
 ゆかりは、ハコの頭を優しく撫でながらチラチラとカギを見る。
「ごめんなさいねえ。鍵本さん……」
 ダリア婦人は、少し申し訳なさそうに苦笑いしている。
「私がこんなものを見せたばかりに……」
 そう言って彼女が見せたのはイルカの顔が全面に載った図鑑だった。
「せっかく夏休みに入っての授業だから夏らしくしようと思って漢字の書き取りの後にみんなでこの図鑑を見たの。そしたらハコさんが……」

"夏休みってなあに?"
"イルカさんってどこにいるの?"
"お魚さんがたくさん見れるところがあるの?"
"行きたい!"

 カギの脳裏に大きな目を輝かせて大はしゃぎするハコの姿が浮かぶ。
「カンナちゃんが"私、幼稚園の夏休みの時にパパとママと行ったよ"って言ったの。そしたら"カンナちゃんだけズルい!ハコも夏休みしたい!"って大騒ぎしちゃって」
 その姿も十分に想像出来る。
 そしてその先の展開も何となく読めた。
「そうしたら早く迎えにきたカンナちゃんのお母さんが"それじゃあパパにお願いしてみんなで夏休みしよう!"ってなってずっと扉の前で待ってたの」
 ダリア婦人の漏れることのない丁寧な説明で状況を十分に理解することが出来た。
 カギは、ハコを焚き付けたゆかりを睨む。
 しかし、ゆかりは素知らぬ顔で「夏休みしようねー」と頬を膨らませたハコをカンナと一緒に撫でた。
「鍵本さん……」
 ダリア婦人は、図鑑の下に持っていた白い封筒をカギに渡す。
「これね。町内会長さんから頂いたものなの」
 カギは、ダリア婦人から受け取った封筒を怪訝そうに見つめ、「開けてもいいですか?」と確認する。
 ダリア婦人が小さく頷く。
 カギは、封のされてない封筒の中身を確認すると全面にイルカやアシカ、ペンギンと言った海洋生物の写真がプリントされたチケットが五枚出てくる。
 ハコ、ゆかり、カンナの目が光り輝く。
「これは……?」
「水族館の優待券よ。毎年子供会で配られるの」
 ダリア婦人は、小さく笑みを浮かべて言う。
「私の塾の生徒さんにも上げて下さいって会長さんのご好意で毎年何枚か頂いてるの。今年はちょうど五枚だから……鍵本さんと石井さんのお宅に差し上げようと思って……」
 なるほど……その伏線で海の生物の図鑑なんて見せた訳だ。と、いうかひょっとして自分の知らないところでゆかりとダリア婦人で結託して作戦を立てたのではないか?
「……他のお子さん達もいるのにいいんですか?行きたい子もいるんじゃ……」
 カギは、敢えてカマかけるように言う。
「古い生徒さんには毎年声かけるけど断られるの。お国に帰省したりや既に予定が立ってたりして結局余っちゃうの」
 ダリア婦人は、柔らかい笑みを浮かべて言う。
 その言葉には澱みはまるでなく、予め用意されていた言葉のようには思えなかった。
 カギは、じっと水族館のチケットを睨む。
「なに悩んでるのよ」
 いつの間にかゆかりが目の前まで近寄ってきてカギを睨む。
「ハコが行きたがってんだからさっさと決めなさいよ」
 カギは、横目でハコを見る。
 ハコは、大きな目を潤ませてカギを見ている。
 ひょっとしてダメって言われるのではないか、と不安になっている。
「仕事の休みが取れないの?だったら私だけで連れてくけど……」
「いや……そう言う訳じゃ……」
 稼ぎ時ではあるが決して休めない訳ではない。元々週休二日は確保出来るようにしてるのだ。
 しかし……。
「どうせハコに何かあったらどうしようって不安なんでしょう?」
 ゆかりが半眼でカギを睨む。
 カギは、図星を疲れて心臓を大きく鳴らす。
「まあ、確かにあんなことがあったから不安になるのも分かるよ」
 あんなことと言うのが雨宮のことを指しているのは言葉に出さなくても分かった。
「でも、彼こそハコを襲うなんてことはしないと思うわよ。カーマ教のことを何よりも嫌っている人が同じことするはずなんてない。来るならこの前みたいに正々堂々と乗り込んでくるはず」
 アレを正々堂々と言うのだろうか?
 どちらかと言うと奇襲に近い気がする。
「これはあくまで私たちの都合よ。私達がしっかりと対処してハコを守ればいいだけの話し。ハコがしたいことを制限する理由にはならない。それに……」
 ゆかりの目がじっとカギの顔を見る。
「あんたの為にも息抜きは必要よ」
 ゆかりの言葉にカギは目を大きく見開く。
 ゆかりは、分かっていたのだ。
 あれからずっとカギが一つのことに囚われていたことに。
"本当のハコの想いはどうなのか?"
 その言葉にずっと捉えられていると言うことに。
「私もね……彼に言われてからずっと考えてた。本当の……って言葉は大嫌いだけど……ハコの気持ちって何なんだろう?って。無邪気なハコの奥の奥にある澱みってなんなんだろうって。すごく考えたの。美容師の試験以来必死になって考えて考えて……」
「考えて……?」
 カギは、じっとゆかりを凝視する。
「考えてもしょうがないって分かったの!」
 目を大きく見開いてはっきりと言うゆかりに唖然とする。
「私達がどんなに悩んだって苦しんだって過去に戻ってハコを救えない。だったら今のハコを幸せにして……いつか記憶が戻ったとしても……苦しみも痛みもどこかに置いてこれるくらい幸せにすることしか私達には出来ないのよ」
 ゆかりの強い目線が小さく潤む。
 今にも飛び出してしまいそうな感情を抑えていることが手に取るように分かる。
「その為にはカギ。あんた自身も幸せになんないといけないの。分かる。ハコの為にも……ね」
 カギは、鋭い目でじっとゆかりを見る。
 ゆかりも潤んだ目でカギを見る。
「……お前は、本当にハコの親友だ」
 カギは、ぼそっと呟く。
「えっ?」
 ゆかりは、潤んだ目を瞬きする。
 カギは、小さく笑ってハコを見る。
「よっしゃ。そんじゃ今度の休みに行くか。水族館」
 カギの言葉に不安に歪んでいたハコの顔が花開く。
「夏休みぃぃぃ!」
 ハコは、大きな声を上げて両腕を振り上げ喜びを表現する。
「夏休みぃぃぃ!」
 その隣でカンナも両腕を振り上げて大喜びする。
 カギとゆかりは、そんな二人を見て、互いの顔を見合わせて笑う。
「そんじゃ私も臨時休暇取らないとっ……」
 ゆかりは、呟きかけながらダリア婦人を見る。
「良かったらダリア婦人も一緒に行きませんか?」
 ゆかりの言葉に今の今までに微笑ましく四人の様子を見ていたダリア婦人の顔に驚きが浮かぶ。
「私ですか?」
 ダリア婦人の問いにゆかりは頷く。
「どうせうちの旦那は休みが取れないので……チケット余らせるのも勿体無いし……いかがですか?」
 ゆかりの言葉にダリア婦人は珍しく顔を顰める。
「いや……でも……その……」
「先生!」
 ハコが目を輝かせてダリア婦人の右手を掴む。
「一緒に行こう!」
 カンナもダリア婦人の左手をぎゅっと握る。
 そして"行こう!行こう!"とダリア婦人の両手を振りましながら飛び跳ねる。
 そんな二人の様子にダリア婦人も観念したのか口元に小さな笑みを浮かべて「分かりました」と答える。
「年寄りですが邪魔にならないようしますね」
 ダリア婦人が言うとハコとカンナはやったぁ!と声を上げ、今度は自分たちの手を握り合って飛び跳ねる。
「どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします。婦人」
 ゆかりは、にこっと笑って頭を下げる。
 カギは、その様子を見てゆかりがダリア婦人を誘った理由が何となく分かった。
 一つは純粋にダリア婦人を誘いたかったから。
 もう一つはダリア婦人が一緒にいれば被害者団体の抑止力になって彼らも変に介入してこないと踏んだからだ。
「大したもんだな」
 カギは、ぼそりっと呟く。
 ゆかりは、それが聞こえてから聞こえていないのか?、にっこりとカギに向かって微笑んだ。
 それから五人で日程を合わせ、水族館に行くのは一週間後の今日と決まった。
 お盆前の平日でそれほど混んでないと踏んだのと、天気アプリで確認したら完全無欠の晴れだったからだ。
 カギは、予定していたキッチンカーの出店場所にキャンセルの連絡を入れ、その代わりに売り上げを落とさないように他の日の日程と品数を増やして補填しようと頑張った。
 ゆかりも急な臨時休暇の為に予約してくれたお客に謝り、予定の変更の連絡をした。
 ゆかりの方は特に問題なく変更出来たがカギの方で問題が起きた。
 水族館に行く三日前に、いつもお世話になっている商店街から依頼が来た。
 何でも幾つかの町内会の連合で夏祭りを行うので出店して欲しいと言うものだ。
 十四時くらいから準備を始めて終わりは二十時。片付けを含めれば当然二十一時を回るだろう。
 そしてその日はハコの授業の日。
 当然、連れて行くことも出来なければ迎えに行くことも出来ない。だからと言ってお世話になってる商店街の誘いを断ることも出来ない。
 仕方がないのでその日は授業を休ませようと思ったら……。
「私がハコの面倒見るよ」
「ハコちゃんのことはカンナに任せて!」
 そう言ってゆかり親子がハコの面倒を見ると名乗り出たのだ。
 心配なのもあるが流石にそこまでは面倒かけられないと思い、カギは断ろうとしたが、その前に二人がハコを凋落し、「ハコ、カンナちゃんのゆかりママと一緒にいる!」
と大喜び、もう止めることは出来なくなった。
「仕方ない……」
 カギは、大きくため息を吐いてゆかりとカンナにハコのことをお願いした。
 ハコは、ニコニコしながら朝からゆかりとカンナの家に遊びに行き、ダリア婦人の授業へと向かった。
 それまでの様子を逐一、ゆかりがスマホに写真付きで連絡をくれたのでほっとしながらカギも仕事に取り組んだ。
 授業が終わったら三人で祭りに来ると言う。
 そこまでしてようやくカギもゆかりに任せておこうと割り切り、仕事に集中した。
 そして時計が十九時を回り、ハコ達の姿が見えないのでどこか回ってるのかと考え始めた頃、知らない着信が入る。
 その電話は警察からで、ハコ達がカーマ教被害者団体に襲われたと言うものだった。

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