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希望のハコ 最愛の娘になった最愛の君へ 第二十一話

 死に物狂いで走って警察に駆け込んだカギを出迎えたのは気が抜けるくらいあっけらかんとしたハコの声だった。
「パパお帰りー!」
 ハコは、にっこり微笑んでカギに大きく手を振る。
 その瞬間、カギの中でむしろのように突き刺さっていた緊張と恐怖の針が全て抜け落ちた。
 カギは、警察署の廊下で崩れ落ちて思わず膝を付いてしまう。
「パパァ?」
 ハコは、慌ててカギに駆け寄る。
「パパ?大丈夫?お風邪引いたの?」
 ハコが青ざめた顔でカギに聞いてくる。
 カギは、血の気の失せた顔でハコを凝視する。
 怪我は……ない。
 カギは。ほーっと胸を撫で下ろし、小さな笑みを浮かべる。
「大丈夫だ」
 カギは、そっとハコの髪を撫でる。
「何もなくて……良かった」
 ハコは、カギに髪を撫でられて嬉しそうに目を細める。
「カギ……」
 ゆかりがカンナの手を引いてこちらに歩いてくる。
 カンナは、とても元気そうに笑顔を浮かべていたがゆかりは少しげっそりとし、泣いたのか目が赤く腫れ上がっている。
 無理もない。
 電話で聞いただけの自分がこんなに慌てふためき、嗚咽と心臓の痛み、そして脱力を感じたのだ。
 当事者であり、二人を身を挺して守ったであろうゆかりの心身の負担は生半可なものではないはずだ。
「ゆかり……」
 カギは、ゆっくりと立ち上がり、鋭い目をゆかりに向ける。
「ハコを守ってくれてありがとう」
 カギは、垂直に頭を下げる。
 それを見たハコが釣られて一緒に頭を下げる。
 ゆかりは、顔をくしゃっと歪めて首を横に振る。
「私は何も出来なかったわ。虚勢を上げてどう逃げようか必死に考えたけど、何も出来なかった」
 ゆかりは、後ろを見る。
「あの人が助けてくれたかったらきっとダメだった」
 カギは、ゆかりの視線を追って……鋭い目を大きく見開く。
 視線の先にいたのは刈り上げた短い白髪に紺色の着物、そして銀縁眼鏡をかけた小柄な年配の男……ギンであった。
 ギンは、刑事と思われるスーツを着たスキンヘッドの男性と制服を着た若い巡査と話している。
 いや、話しているというか刑事と巡査がひたすらに平身低頭に「この度は我々の仲間が大変ご迷惑を…」謝罪し、ギンが"別に気にするねい"とカラカラと楽しそうに笑っている。
 カギが訝しげに見ているとギンがカギが来たことに気づき、「んじゃ、またな」と粋に手を上げて刑事達の元を離れてこちらに寄ってくる。
 刑事達は、ひたすらにギンの背中に頭を下げる。
「おうっ久しぶりだなせがれよ」
 ギンは、陽気に手を上げる。
組長オヤジ
 ギンは、両足を広げて膝に両手を乗せて頭を下げる。
 それを見たハコとカンナが真似しようとするが「はしたないから止めなさい」とゆかりに注意される。
「ギンさんだ」
 ギンは、眼鏡の奥をきつく細める。
「何度言わせりゃ分かる」
「すいません」
 カギは、深く頭を下げる。
「あと、それもやめろ。いい加減カタギと自覚しろ」
「へい」
 カギは、姿勢を戻す。
「カギ……」
 ゆかりが二人の様子を見ながら声をかける。
「オヤ……ギンさんがみんなを……」
「たまたま通りかかっただけだよ」
 ギンは、楽しそうに笑う。
「祭りの喧嘩かと思って仲裁しようとしたらハコ坊主がいて思わずな」
 そう言ってハコを見てにっと笑う。
「ギンおじちゃん凄かった!」
 ハコは、両手を振り上げてぶーんっと振り回す。
「こうするだけで人が飛んでっちゃうんだよ!」
「魔法だ!魔法だ!魔法おじさんだぁ!」
 カンナが大はしゃぎで飛び跳ねる。
 ハコもカンナの発したフレーズが気に入ったようで「"魔法おじさん"ギンおじちゃんだぁ!」と大はしゃぎする。
 そんなハコとカンナの様子をギンは嬉しそうに見て笑う。
「いいなあそりゃ。今度、組員ガキ共に衣装でも作らせるか」
「やめて下さい」
 ギンの魔法少女姿を想像し、カギは即答する。
「本当にこの度はなんとお礼を言ったらいいか……」
 ハコとカンナをたしなめながらゆかりはギンに頭を下げる。
「いらねえよ。礼なんて……」
「いえ、それでは私の気がすみません」
 ゆかりは、懇願するようにギンを見る。
「そうかい……それじゃあ」
 ギンは、顎を摩りながらゆかりの身体を見る。
 何か嫌な予感がしてゆかりは思わず後退りする。
「あんた……美容師だろ?」
「はい……っ」
 ゆかりは、恐る恐る頷く。
「そんじゃ今度髪切ってくれ。毎回一辺倒な髪型なんでな。たまには洒落てみてえ」
 ギンは、そう言って笑う。
 ゆかりは、何故ほっとしながら頭を下げる。
「そんなことでしたらいつでも……」
「ありがとうよ」
 そう言うとギンは四人に背を向ける。
「そんじゃもう行くぜ。あんま俺と一緒にいたらお前らも睨まれるからな」
 ギンに言われてゆかりは周りを見ると、警察官達が胡乱な目でこちらを睨んでいた。
「そんじゃな。ハコ坊主」
 ギンは、ハコに手を振る。
「うんっまたね。ギンおじちゃん」
 ハコも嬉しそうに手を振り返す。
「嬢ちゃんもまたな」
「バイバイ魔法おじさん!」
 ゆかりも楽しそうに手を振る。
「ギンさん……ありがとうございました」
 カギは、カタギらしく背筋を伸ばして頭を下げる。
 その横でゆかりも頭を下げる。
 ギンは、振り返らずに手だけを振って去っていった。
 二人は、ギンの背中が見えなくなるまで見送る。
 そしてギンの姿が見えなくなった途端、ゆかりは大きく身体をふらつかせ、カギが慌てて身体を支える。
「大丈夫か?」
「うんっ緊張の糸が解けたみたい」
 カギは、ゆかりの身体を支え、そっとベンチに座らせる。
 ハコとカンナが心配そうにゆかりを見る。
「何か飲み物買ってくるか?」
「なんかびっくりするくらい甘いものをお願い」
 無茶なオーダーに一瞬でも躊躇うもカギは頷いてハコとカンナを連れて自販機に向かい、二人にはリンゴとオレンジのジュースを、ゆかりには"旬の果物をふんだんに使って使ってミルクと混ぜ合わせた天にも昇るトロピカルなオーレ"と言う"ミックスオレ"と単純に呼べばいいだろうと突っ込みたくなるような飲み物を購入してゆかりのもとに
戻ると、ゆかりの前に二つの人影があった。
 一人はダリア婦人
 もう一人は雨宮だった。
 雨宮は、ゆかりと目を合わせるや否なその場に倒れ込むように土下座する。
「この度は、私の仲間が申し訳ありませんでした!」
 雨宮は、ゆかりに床に額を叩きつけるように頭を何度も下げる。
 雨宮の突然の行動にゆかりは当然のように戸惑う。
 ダリア婦人も雨宮を止めようとしてカギ達に気付く。
「鍵本さん……」
 ダリア婦人が呟くとゆかりはカギ達に目を向け、雨宮も顔を上げてカギ達を見る。
 カギは、ハコとカンナを背中に隠し、鋭い目を雨宮に向ける。
「……なんでここにいる?」
 カギは、低い声で言う。
 雨宮は、床に伏したままカギに身体を向ける。
「この度は申し訳ありませんでした」
 雨宮は、カギ達に向かって頭を深く下げる。
 その様子にハコとカンナは驚くもカギは冷徹に雨宮を見据える。
「おいっ質問に答えてねえぞ」
 カギは、冷徹に言う。
「なんでここにいる?」
「私が呼んだのよ。鍵本さん」
 雨宮の代わりにダリア婦人が答える。
 カギは、ダリア婦人に目を向ける。
「ダリア婦人はどうしてこちらに?」
 雨宮の時と違い、丁寧に穏やかに言葉を紡ぐ。
「ご近所さんが教えてくれたの」
 ダリア婦人は、視線を右に向けて答える。
「近所で三人の親子連れが襲われて警察に保護されたって……。襲ったのが被害者団体の人達と聞いて直ぐに貴方達だと思って雨宮さんに電話したの。ひょっとしたら雨宮さんが……と思って。そしたら彼ひどく驚いて……」
 ダリア婦人は、土下座する雨宮を見る。
「……信じてもらえないかもしれませんが……今回は彼らの独断です。私は把握していなかった……」
「ああっ?」
 カギは、土下座する雨宮を睨みつける。
「あんた、あいつらの代表なんだろ⁉︎なんで知らない⁉︎」
 ゆかりも雨宮の言葉が信じることが出来ず、きつく目を細めて睨みつける。
「代表と言っても我々は組織ではなくNPOを取っている訳でもないボランティアに近い団体です。事務的な取りまとめはしても統率や組織だった決まりがある訳ではありません。全員が全員の動向を把握出来てる訳ではないのです」
 雨宮は、最もらしく答えるがカギにはただ言い訳を並べてるだけにしか聞こえなかった。
「それじゃお前らが毛嫌いしている孔雀会と変わんねえな」
 カギは、馬鹿にするように言う。
 雨宮の身体が小さく震える。
「いや、強行に及ばないだけ奴らの方がマシになったな」
 カギの冷徹な言葉にダリア婦人の表情が青ざめ、雨宮は、悔しげな拳を握りしめる。
「おっしゃる通りです」
 雨宮は、呻くように言葉を出す。
「そのことに関しては返す言葉もございません」
 雨宮は、顔を上げる。
 悔しさと無念に唇を強く噛み締めたのか、口の端から血が筋を作って流れ落ちる。
「しかし、同胞達の奴らへの怒りと憎しみはそこまで強いものなのです。そこだけはご理解下さい……」
 雨宮の言葉にカギは怒りの沸点を超えそうになる。
 これだけのことをしておいてまだ自分たちを正当化しようとしているのか……こいつらは!
 カギは、爪が食い込まんばかりに拳を握りしめる。
 息が荒く、目の前の視界が赤くなるのを感じる。
 固くなったカギの拳に冷たい感触が走る。
 カギは、視線だけを動かすとハコが不安そうにカギを見つめていた。
「パパァ」
 ハコがきゅっとカギの拳を握る。
 それだけで溢れそうになった感情が少しずつ静まっていくのを感じる。
 カギは、小さく何度も呼吸し、暴れ出しそうな感情を沈めていく。
「お前達の感情なんてどうでもいい」
 カギは、感情が溢れないよう言葉の一つ一つを押さえつけながら言葉を出す。
「だが、二度とハコに……ゆかり達に手を出すんじゃねえぞ。もし手を出したら……」
 カギは、溢れそうな感情を目にだけ込める。
「孔雀会の前にお前らを潰す」
 雨宮の目が大きく震え、力なく伏せる。
「……分かりました」
 力なく項垂うなだれる雨宮を冷たく見下ろしながらカギは二人を連れて脇を通り、ゆかりに飲み物を渡す。
「……何これ?」
 飲み物も名前を見てゆかりは露骨に眉を顰める。
「ミックスオレって言えばよくない?」
「俺に言うな」
 カギは、肩を竦めてゆかりに手を差し出す。
「帰るぞ。立てるか?」
「立てるけど歩いて帰るのはいや」
 ゆかりが唇を尖らせて言う。
 ゆかりがこんな甘えたことを言うのは珍しい。
 よっぽど精神的にも肉体的にも疲れたのだろう。
「タクシー呼んでやる。それならいいだろう?」
「……分かった」
 ゆかりは、頷くとカギの手を握って立ち上がる。
「ねえ、パパ……お祭りは?」
 ハコが上目遣いでカギを見る。
 カギは、スマホの時計を見る。
「もう……終わっちまったな……」
 カギが言うとハコもカンナも今にも泣きそうになる。
「明後日、水族館行くだろう。そん時、好きなもん買ってやる」
 二人の顔が一変明るくなる。
「アイス食べていい?」
 ハコが目を輝かせて言う。
 カギは、頷く。
「ショー見てもいい?」
 カンナも頬を赤くして言う。
 カギは、頷く。
「ついでにイルカと触れ合うやつにも連れてってやる」
 ハコとカンナは、笑顔を浮かべてお互いの顔を見合わせる。
「それじゃあ魔女っ子イルカさんのぬいぐるみも買って」
 ハコとカンナが願うようにカギを見る。
 そんなのがあるのか……。
 よくは分からないがとりあえず「ああっ」と頷く。
 その瞬間、ゆかりの表情が一瞬青ざめたのにカギは気づかなかった。
 二人は、大喜びして「じゃあ帰ろう!」と手を繋いで歩く。
 その後ろをゆかりと手を繋いだカギが付いていく。
 雨宮は、項垂れたまま動かず、ダリア婦人はじっとカギ達を見る。
 カギは、それに気づいて足を止める。
「ダリア婦人」
「はい?」
 ダリア婦人は、目尻の下がった目を向ける。
「この度はご心配をおかけしました」
 カギは、小さく頭を下げる。
 ゆかりも同じように頭を下げる。
「いえ、そんなことは……」
 ダリア婦人は、首を横に振る。
「こんなことがありましたがハコとカンナの為にも水族館には行きたいと思ってます。お疲れかと思いますがよろしくお願いします」
 カギは、そう伝えてから雨宮の方を見る。
「そういうことだ。今度こそ絡んでくるなよ。俺はオヤ……ギンさんのような優しくはないからな」
 カギは、刀を刺すような雨宮に言う。
 雨宮は、項垂れたまま動かない。
「それでは失礼します」
 そう言って四人は廊下を歩いていく。
 雨宮は、項垂れたまま動かない。
 ダリア婦人は、去っていく四人の背中に頭を下げる。
「水族館……楽しみね」
 ダリア婦人の口元に薄い笑みが溢れた。

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