フェミニストではないけれど

つい先日目にした記事で、非常に肯けるものがあった。
そこに書かれてある内容を読むにつけ、この国で起こっている問題の根本原因って、すべてここで語られている「男社会」にあるんじゃなかろうかと考えた。

中でも特に気になったのが、

“男らしさ競争”への参加を、男社会の公的領域におけるルール、
「バカとエロの大縄跳び」への参加を、男社会の私的領域におけるルール

「カッコつけたらいじられる」男社会の”からかい”という制裁

という定義づけ。
詳しくは本文を読んでもらいたいのだけど、前者の「男らしさ競争」とは
肉体的な強さ(筋トレ)
社会的地位(出世競争)や経済力(稼得能力)
性的強者(モテる、経験人数が多い)
逸脱行為(昔のヤンチャ自慢)
などで優劣を決めることを重視する行動様式を言う。
こうした価値観が罷り通るコミュニティでは、男性美容やセルフケア、(最近だと家事育児もかな)そうした「女性がするようなこと」をしている男性に対し、「男性が柄にもないことをしているきまりの悪さ」を理由に、いじりやからかいによってヒエラルキーから引きずり下ろす。なんてみっともないんだろう。

後者の「バカとエロの大縄跳び」というのは一見わかりづらいけど、要は

“ガチであること/マジメになること”を冷笑し、ネタにして笑うことで仲間であることを確かめ合う内輪ノリの文化

「カッコつけたらいじられる」男社会の”からかい”という制裁

のことだそうな。

男子はみんなでバカなことをするとか、エロを受け入れるという強制参加の大縄跳びのようなものがあって、とにかくそこに入らないことには男の子として認められないという空気がありました。

「カッコつけたらいじられる」男社会の”からかい”という制裁

ああ、そう言われるとよくわかる。体育会系でやたらうるさいやつとか、ヤンキーとか、そういう連中を中心にしたバカなノリについていけないと、
「面白くないヤツ」「マジメなヤツ」とか勝手にレッテル張られていじられるっていうの。

そして、この記事の最後は

男社会が強さに憧れ弱さを憎む限り、そこに優劣の争いが生まれ、いじり/からかいの無限地獄は終わらない。男らしさとからかいの関係は、かくも根深いのである。

「カッコつけたらいじられる」男社会の”からかい”という制裁

と締めくくられる。

自分がなぜこの記事の内容をここまで気にするかといえば、自分もまさにこの「男らしさ競争」という仕組みに反発しつつ、その呪縛に囚われていた。
体が小さく、なめられるのが嫌だから柔道を始めたり、文化部をやめてフェンシング部に入ったり、収入の低さに引け目を感じたり。

そして自分もまた「バカとエロの大縄跳び」が嫌だった。というか集団でつるむのも嫌だった。結果、中学、高校とずいぶん居心地の悪い思いをしたもんだ。(バカはわりとした気もするけど)

そして幸いなことに、今ではこれらのいくつかが「有害な男らしさ(トクシック・マスキュリニティ)」と呼ばれ、フェミニズムの立場から是正されるべきものとして糾弾されてきている。

ただ、自分が思うには、この「有害な男らしさ」は単にフェミニズムだけの問題ではない。
常に同じ属性の連中とばかりつるみ、異質な存在を排除し、内部で優劣をつけてヒエラルキーに従わせる。
物事の本質を追及したり、意見の違いを戦わせることもなく、個人としての主張や個性の表出を押さえつける。
こういう集団が社会の中心的な役割を担ってここまで来ると、どういうことになるか。

そう、まさに今の閉塞して澱みきった日本社会そのもの。

学校のイジメも、ブラック部活も、体育会系の歪んだ会社組織も、利権や権力争いをやめられない政治家も、女性が圧倒的に多い非正規雇用も、弱者へのハラスメントを悪いと思わない上司も、デモや社会運動で声を上げる人を冷笑するビジネスインフルエンサーとその追従者たちも。

それらの諸悪の根源が「有害な男らしさ」にあるとすれば、すべてに納得がいく。
そして「有害な男らしさ」は、今まさに最悪な形で発揮されている。そう、戦争だ。
互いの意地の張り合い、優劣のつけ合い、領土の取り合い、これがマチズモの具現化じゃなくて何なのか。もうどちらもさっさと矛を収めろ。

自分はフェミニストではないし、とてもじゃないけどフェミニズムを語ることすらおこがましいと思う。
だけど、こうした有害な男性性から来る歪みが、今の世の中で抑えきれなくなりつつあるのだから、当事者である男の側からも、事あるごとに指摘していかなければいけないと思うこの頃。

※同様の投稿をThreadsにもしたけれど、500字では言い足りないので改めて。


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