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嫉妬

オリゴ党30周年記念 第45回公演 『シンドバッドの渚』

もうあと10日で初日が明ける。そんなタイミングで書いてます。
役者である中村が、これくらい=本番直前にどんなことを考えているのか、そんな備忘録的ななにかだと思ってください。
もちろん役者が「みんなこんなことを考えている!」という普遍的なものではなく、しかも中村も「毎回こんなことを考えている!」というルーチンワーク的な儀式の紹介でもありません。
今回なぜか特に「こんなことを考えている。」ということを書いてみたくなって。
ちなみに今、本番間近の時期に台本をあらためて読み返して、「こんなことを考えている。」という状況だとお考えください。

嫉妬。
いつも思うことだけど、今回はいつもに増して。
どうして、この、こんなに大事な台詞が僕のものじゃないんだろう。僕の口からこぼれないんだろう。この大事な台詞に、僕(の登場人物)は踊らされる。操られる。その結果、その台詞に呼応した、別の何かの台詞を口にし、呼応した動きを見せる。
それ自体何も不思議なことではない。「書きたい」と思ったある特定の誰かが、自身の思っていることを言葉に翻訳して、B5で50枚くらいの紙に出力して、僕を含め出演者に渡す。そこに提示されているのは、すべからくその特定の誰かが思っていること。そのたった一つの「思っていること」を、出演者の人数nで割り算して、渡し分ける。だから、僕がその台詞を手にする口にする確率は1/n。たったの1/n。
でも。じゃあ、今、僕(自身でも、の登場人物でも構わない)が思っていることを、ほかの誰かが言葉にする。

僕じゃない。

僕(の登場人物)が抱えたかったそして吐露したかった感情が、他の誰かによって語られる。
僕(の登場人物、ではなく、僕そのもの)は、その誰かが語った言葉に寄り添うか反目するか無視するか、という選択を迫られる。
いずれを選んでも、僕そのものの感情を満足するものではない。
おそらく僕の登場人物の心情を満足するものだと思うしそうあるべきなんだけど。

じゃあ僕は?

これは、この感情は、僕のもの?ほかの誰かのもの?あるいは本当のもの?嘘?この感情に名前をつけるとしたら、嫉妬。
がいちばん近いのかなあ。あるいは、それによる猜疑心。
自分に対する。

試されている。

いい意味で、この作品のピースの一つである僕(の登場人物)が、作品に相応しく機能するために。

本当に割り切れるかどうかは公演が始まっても判るかどうか覚束ないのですが、寄り添うにせよ反目するにせよ無視するにせよ、その選択をした自分を疑い続けていれば、決して悪い意味ではなく自分を殺し続けていれば、僕ではない「『書きたい』と思った特定の誰か」の思いに近づけるのかもしれない。
「僕」も、「僕の登場人物」も、「『書きたい』と思った特定の誰か」も、それぞれ別人なのだから、完全に理解し合えるなど理論的にあり得ない。
であれば、少なくとも「僕(そのもの)」を殺してしまえば、理解の度合いは3/1から2/1に深まることになる。

冒頭に「今回なぜか特に」と記したとおり、いつもこんなことを考えている訳じゃありません。
これはいつも通りの僕の誤読なんですが、今回の作品でとりわけ、人って脆くて儚くて孤独で、そのくせ誰かを理解したくて誰かに理解して欲しくて、そのくせ理解したつもりになって誰かを傷つけて、その傲慢に気づいていようが気づいていまいが気づくと孤独に立ち戻ってて、およそ理性的とは言えない愚かな振る舞いを続けていて、っていう、何というか、人というものの哀れさを感じてしまっていて。
で、ふと、そんな台本から目を離すと、普段の生活でも僕はそんなことを繰り返しているような気がして。たぶん繰り返してるんでしょう。

でもね。
これもいつもの誤読で。
岩橋貞典の台本って、だいたいそこから、何とか理解しようと、愛そうと、手を伸ばす姿が見える気がするんです。
今回はたまたま、そこまでの、哀れさ、の比重が僕にとって大きかった、というだけの話で、仮にバッドエンドであろうが、そこには僕にとってはとても大きな手が伸びてきてる。
僕にとっては矛盾した言い方ですが、だから安心して泣くことができるんです。(話が前後しますが、今日の昼頃に近所の喫茶店で台本を読み返していて(ここで冒頭に戻るんですね)、やっぱり何度読んでも泣けるんです。)
もちろん泣くのはあくまで「僕(そのもの)」であって、「僕(の登場人物)」は泣きゃしませんよ。
で、「僕(そのもの)」と「僕(の登場人物)」のどちらがお客さんに近いかといえば圧倒的に「僕(そのもの)」なんですね。だから、というのも変ですが、「僕(そのもの)」が泣いたという事実を、お客さんとも共有できたらな、なんてことを思ってます。
そのために、これも行ったり来たりしますが、自分への猜疑心はちゃんと持っておかないとな、そんな風に思います。

小難しいことを書きました。
作品自体がお世辞にも「笑った!」とか「泣いた!」とかいうシンプルなものではないので、そこにこんな小難しいのをかぶせちゃうのもどうかと思うんですが、少なくとも中村は好き好んでこういう作品に向き合ってる、そのプロセスとしてこんなことを考えている、ということを書いておきたくて。

今思ったけど、こんなこと知っておいてもらう必要あるのかな(笑)。

オリゴ党30周年記念 第45回公演
『シンドバッドの渚』
作・演出 岩橋貞典
会場:大阪芸術創造館
日時:2022年9月24日(土)15:00/19:00
      9月25日(日)11:00/15:00
  ◇受付開始1時間前、開場30分前
※上演時間は2時間を予定
料金:前売 3,000円、当日 3,300円、学生 1,500円

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