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2024年2月締め請求書のお手紙

私たちデザインモリコネクションは、陶磁器デザイナー・森正洋さんのデザインした製品の卸売を主な活動としていて、毎月、お取り扱いいただくショップのみなさまへ請求書をお送りしています。
ふと思い立って、2021年9月分から、請求書を発送する際、お手紙を同封するようにしました。その時々に思ったことなどを書いています。何を書いたか保管しておく意味もあり、noteに置いておきます。
請求書をデジタル化した方がいいんだろうけど、その場合、こういうお手紙をどういう形でつけたら良いのか、悩ましいところ。


先日、ものすごくひさしぶりに映画を観ました。土曜日に妻が仕事ということもあり、こどもは保育園に行ってもらって、午前は用事を済ませ、午後に自宅のテレビでクリストファー・ノーラン「テネット」を鑑賞。アキ・カウリスマキ「枯れ葉」も公開中なので映画館に行くのも良さそうですが、朝から出かけないとお迎えの時間に間に合わなさそうなので、自宅のアマゾンプライムで観られるものを探すと「テネット」がありました。クリストファー・ノーランの映画は「プレステージ」以外は観ていて、「ダンケルク」以来です。

「インターステラー」はなかなかに壮大なハードSFだった記憶があり、テネットもこれはこれで割とハードなSFなのかなと、観ている途中で思いました。グレッグ・イーガンの小説にありそうな。物語の背景が分かりやすい形では明かされることなくどんどん進んでいくので、ぼーっとしているとぼーっとしたまま「最後、なんか戦って解決した」と、思ってしまいます。

時間の逆行を可能にするマシンが出てきて、これが物語にとって鍵となるものです。しかし、見終わっても、いまひとつピンと来ていません・・。時間軸の、ある地点から別の地点へ飛び移る「time travel」や「time warp」ではなくて、時間軸のある地点から別の地点へ後ろ向きに移動する「time go backward」なんですよね。マシンの中で時間を逆行した後、通常に戻る場合もあるし(これは「time warp」っぽい)、後ろ向き移動しつつ活動することもできる(酸素ボンベが必要などの制約がある)。書いていてだんだんと分かってきた気がします。これは映像でないとできない表現かもしれません。時間を逆行していない人が、逆行している人を見ている様子を小説で表現できるかどうか。映像だと単純で、通常再生の人と逆再生の人を合成すれば良いんですね。

「逆行」については、冒頭15分のあたりで説明があり、エントロピーの減少が逆行を生み出すとのこと。以前、時間についての本をいろいろ読んでいたことがあり、郡司・ペギオ・幸夫「時間の正体 デジャブ・因果論・量子論」だったか、違うような気もしますが、「時間とは、変化の”向き”である」という説があって、なるほどと納得していたので、エントロピーの減少すなわち時間の逆行というのは、なんとなく分かる気がします。たしかエントロピー増大則は変化の向きについてのことなので、増大ではなく減少するのなら、「変化の向き」すなわち時間の向きが変わる、時間が逆行すると言えるのかなと。いまエントロピーについて検索して出てきた、ほぼ日での物理学者・高水裕一さんのインタビューを読むと分かりやすいかもしれません(細かいことをはぶいてかなりざっくり言っているような感じもありますが・・)。まあ、映画冒頭15分のあたりで「逆行」について説明する登場人物の言う通り、理詰めで理解するんじゃなくて、なんとなく「そういうことか」くらいで良いのかもしれません。

とはいえ、「時間の逆行」について、まだなんだか分からない気持ちもあり、なにが混乱するのかというと、通常の時間の流れである「順行」と、その逆の流れである「逆行」が同じ時空間で共存する設定になっていることかもしれません。たとえば、「順行」している人が、「逆行」している人に撃たれるシーンでは壁に埋まった銃弾が飛び出してきて人を貫通し「逆行」している人の銃に戻ります。「逆行」している人からすると単に撃っただけですが、「順行」している人から見た視点では、このように表現されるのです。

書いているうちにだんだんと整理されてきたように思いますが、やはりなにかひっかかるのは、主人公たちも敵役たちも、どんどん逆行して過去に干渉していて、それだと歴史というか、現実が確定しないのでは?というのが気になります。お互いに気に入らない現実を改変するために過去に逆行している。これは作中でも言及されている「祖父殺し」の矛盾と関係している気がします。ウィキペディアによれば、「祖父殺し」とは「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父を祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というもの。同じウィキのページには、矛盾を回避する説として「唯一の可能な時間線は完全に首尾一貫しているものだけ」という「ノヴィコフの首尾一貫の原則」と、「過去へのタイムトラベルが可能だとしたら、未来の複数のバージョンが並行宇宙として存在している」という「並行宇宙」が挙げられています。テネットの場合、並行宇宙ではなく、首尾一貫した時間線があると考えた方が辻褄が合うように思われますが、とはいえ、みんなが自由意志で現実を改変(祖父殺し)しようとしていて、首尾一貫性とはぶつかるような。「みんなが改変しようと争った結果、確定し、首尾一貫した時間の流れの生まれる様子」を映画として描いたと考えれば、納得できそうですが・・。また最終的には、逆行して現実を改変できることを知る人間がいなくなることで現実が確定する、ということならば、筋は通っているのかな(そういえば、そういう台詞がラストにありました)。そもそもこの映画が「逆行によって現実を改変している」ことを描いていない可能性もあるような気もします・・。

時間の逆行について書いているうちに文字数が多くなってきました。今月はこのへんにしておこうと思います。時間について詳しい方がいらしたら、お教えいただければ嬉しいです。

2024.2.29

デザインモリコネクション有限会社
小田寛一郎

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