身軽に生きる3

続き...


海外にいて、散々親からは
「帰ってくるところはないんだからね」であった。
それは本当のことで、何も変えられない事実。私も当たり前のように帰らないつもりだったし、日本に帰国するという選択肢すら持っていなかった。

そして時は流れた。
祖父が亡くなったと一報が入る。
その時私は、ブリスベンから内陸へ10時間かかるところで農場の仕事をしていた。早急に日本に帰る便を探す。
最短で帰れる便でも内陸の10時間がかなり大きい。丸二日かかる。
両親にもそのことを伝えたら、2日後にはすべて終わっている。と。
そのために無理して帰ってこなくて大丈夫と言われ、祖父のお葬式には出られなかった。

それからまもなくして、私は日本に一時帰国をすることを決めた。
もちろん、祖父の墓前に挨拶するのも目的だったが、免許証の更新期限も来ていたので、この機会に帰ろうと思った。

日本に帰国するのは久々だった。およそ2年ぶりか?
その時は両親が間借りしていた平家のアパートに身を寄させてもらった。

春先の三月であった。母と一緒に墓前に行き、じいちゃんにただいま。と挨拶をする。私が最期祖父にあった時はもう痴呆が進んでおり、私がどこの人であるかわかっていなかった。そんなことを思い出しながらごめんねとただいましか言えなかった。


一時帰国中の日本の滞在は一週間だった。
日本にあまり滞在しても利点はないし、住む家もないし、なんなら両親が引っ越したアパートにある私の荷物を整理、もしくは処分しろと言われ、虚しい気持ちになった。
本当に気持ちいいくらい捨てた。
海外にいて生活できる服は今持っているので足りる。
物も必要がないものを持っていても、荷物になるだけ。
ただ、思い出だけは捨てられなかった。
アルバムや、小さい頃から弾いていたギターなどは取っておいてもらった。

そうして私は晴れて、スーツケース一つで何処にでもいける荷物の量まで減らせることができた。


その時の一時帰国で、体感して思い知ったのは
「本当に帰る場所がない。」であった。
よくわからない絶望感だけが残ったのを今でも鮮明に覚えている。


地元での一週間はあっという間に過ぎた。
会いたい人に会い、行きたいところに行き、食べたいものを食べた。
そして、一時帰国するならそのままNZにも遊びに行こう!ということでNZの南島を回ろうという計画を立てて、慣行した。
友達と現地で待ち合わせをし、レンタカーを借りて、一週間かけ北上していった。
その時の旅行は本当にいい息抜きになった。

二週間のプチ旅行兼、一時帰国を終え、また農場の地に降り立った。
日本からの懐かしの食材を抱えながら笑
そしてまた、農場での日々が始まる。

農場での身軽に生きるための方法はないが、いかに人と繋がっておくか。というのは重要になってくる。
農場で仕事をしているともちろん、雨で仕事がなくなることもある。
それも一日でなく、一週間になることもある。そんな時、人と繋がっていると、雨の日でも仕事をくれたり、ご飯をご馳走してくれるからだ。

そんな形で、二年間のオーストラリアでのワーホリが終わろうとしていた。
これまでで移動した距離は半端ない。
移動に伴って何が必要で何が不要なのか、すごくよくわかった。
そしてお金はどのように生み出して使うか。それも新たに勉強になった。


ワーホリが終わる前に、私はこの先どうしようか?と自分に問うてみた。
「何がしたい?どうなりたい?どこに行きたい?」

まず、日本に帰る手段は絶たれていること。それは確かで日本にも帰りたくなかった。
そこで考えたのは「語学学校に行く」という選択肢だった。
というのも、それまでの私の語学というのは自己流の英語力で、文法はめちゃくちゃ。テンションで会話し、伝えていたからだ。学費も移動費ももちろんかかる。でもここで最後、きちんと語学を学んで損はないと確信していた。

幸い、時間があったので、どこの土地がいいのか、学費や各土地の物価まで事細かに調べていた。

私が選んだ土地はオーストラリアの西の土地、パースに行くことにした。
理由は簡単。住んだことがないから。
東海岸はあらかた住んだ経験があるので、住んでみたことのない土地に行ってみたくなった。

そこからの行動力はやはり早かった笑
現地エージェントにコンタクトをとり、学費の安い学校を紹介してもらい、自分で学生ビザの申請をし、無事、学生ビザを取得した。

パースに行く前に、荷物の整理としてまた、断捨離を慣行した笑
飛行機に乗るのに、荷物が軽いことに越したことはないからだ。

こうして私の計三年間のワーホリが終わった。
本当にこの三年間は色々あり過ぎたのと、すごくショックなことが多過ぎた。
「なんとかなるさ」精神はある意味、無敵だと思う。
色々もがいて行動した挙句、現状が進まない時もある。そんなのは腐る程経験してきた。そんな何も進まない状況に嫌になることもたくさんあった。何回も一人で誰もいないところで泣いたりも何度もあった。
でも努力しても何も現状が変わらないのならば、その時の「今」を楽しむと決めている。だって、努力しているのだから。

そして今もまた、私は現状が動かない状況に陥っている。笑

ここで身軽に生きること。は一旦終わりにしようと思う。
海外の経験談をダラダラ書く気にもなれないのだ笑
これからは気の向くままに、私の20代の頃の価値観など記していけたらと思っている。


ではまた。

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