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「下町サイキック」について

「下町サイキック」という小説を「よしばな書くもん」に数編載せているのですが、書き下ろし2編を加え、大幅に改稿して夏くらいに単行本になるので、ここでの販売をやめました。
「同じものを2回売るなんて悪どい商売してるんじゃねえ!」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、要するに「文芸誌に載った」からの「加筆修正して単行本になった」と同じことですので、普通のことであります。

「よしばな書くもん」っていうタイトルはものすごく字画がいいから残したい〜、なんて言っていた私ですが、担当の谷口さんは「いいですよ、そういうことなら」と言っていたり、デザインもなかなか凝っていて担当の人の苦労が多い小田島くんにお願いしたいと言ったら、「わかりました、やりましょう!」と言ってくれたり、さらに「書いていって、『よしばな書くもん』にプールしていきたいのです」と言ったら、「初出の書き下ろしじゃないといやだ」とは全く言わず、笑顔で「ちょうど宣伝にもなるし、吉本さんもその段階で少しお金が入ってきて、いいですね!」と言いました。
未来の編集者さんだな、今の時代を見ているんだ、と思っていたく感心しました。

「下町サイキック」は、一見「エンタメっぽく各話にサイキックエピソードがあり、女の子とおじさんが組んで解決する推理的な楽しい読み物なのじゃ」というていなのですが、違うのです。
今はもうなくなりつつある、私の知っていた下町ルール。とても独特で、よく機能していたあの人生観。あれを、今のうちに記録しておこうと思ったのです。良いことばかりではありません。人間の生々しさに満ちた時代の、おどろおどろしいものを内包したルールです。
だからこそ、この世からはみ出してしまった行き場のない人たちをなんとなく、薄ぼんやり、むりせずに包み込んでいたのですね。
がんじがらめの世の中になっていくことは、時代なのでしかたがありません。でも、あのとんでもないながらも人間力でなんとかなってきた時代をちょっとだけ書いておきつつ(関西ではちゃんと文化としてそのノウハウが保存されているのに、東京ではまるでバリのウブドから精霊がいなくなったのと同じ感じで下町ルールは消えてしまった。きっとディープなところでは生き残っているのだろうと信じたい)、主人公のキヨカちゃんの内面のデリケートさ、生きていき難いほど強いサイキック能力が、「好きな人や日常で会う人の人数の多さで散らされて全然生きていける、むしろ周りの人にとって長所となっている」というのがこの小説集のテーマです。大人がちゃんと大人だと、子どももちゃんと子どもでいられるのです。

私は殺人とか人怖とかはあまり描かないのですが、還暦過ぎたらSNS含めほぼ引退して堂々とホラー短編小説家になっていこうと思っている(なんならこれまでもずっとそうだったが)のですが、これまでと同じように、生きづらいけれどこの世の中を照らしていて、さらに本というものや創作物を愛おしいと思うハズレ者たちのために書いていくことには変わりません。ハズレ者じゃない人だって、たまに自分の中の自由がむずむずすることはあるでしょう。そんなときに本の中に憩ってもらえたら、いちばん嬉しいです。
記念すべき還暦の歳にこの本を出せることを、天に感謝しています。