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真珠の見る夢(暗め短編小説)

君と出会えた夏

「そうそう、もう出来上がってたんだ。二年かかったよ。いやー別に? 賄えた賄えた。本当あんたのおかげ。ありがとね。まあ巡り巡ってあんたの得になるか。ところで今日最強に暑いね、やんなっちゃうよ。ああ大丈夫、クーラーはある。電気も気合いでどうにかしたし。え、ああ。そっか、じゃあまた連絡する」

 電話を切った。今日の奴は報告内容のおかげか上機嫌だった。
 今日は、もはや脳味噌まで茹であがってしまいそうな程暑い。日本にもここまで暑くなる場所があるのかと、呆れすら感じる。少なくとも僕の故郷では絶対にあり得ない話だ。
 コンクリート打ちっ放しの、管理者すら記憶から消しているんじゃないかと疑ってしまうようなビル。僕は貰った金を使って、そのビルを丸ごと買い取った。電気や水だけはコネで繋いでもらっているけれど、それだけだ。しかし人間、気温と飲食に気をつけていればある程度生きる事は十分可能なんだよ。
 四階建てのビルだが、部屋はすべてそれぞれのフロアぶち抜き。だから計四室。その中の四階だけ、僕は入念に改装した。とても……美しい、部屋になった。

「綿絵」

 僕の声に、未だに綿絵は反応しない。きっと自分が綿絵だって認識出来ていないんだろう。それでも可愛いものだ。
 散歩していた僕が、綿絵を見つけた。肉も無ければ生気もない、しかし顔だけはとびきり綺麗に整っている10才児。わたえ、という名前が僕がつけた。だってふわふわとした髪が、綿のような手触りだったんだ。
 綿絵をこの僕の城に連れてきて、二日目。使っている部屋は一つだけ。それ以外は完全に放置しているが、手入れさえすれば使える。ただ、今はその必要なんて無い。

「だから言ってるだろ、君はもう綿絵なんだよ」

 もともとの名前なんて知りやしない。知っていても言えないんだ、だってこの子見た感じ失語症。見つけた時、綿絵の体にはいくつもの打撲痕があった。どうも、帰るとこのまま不幸に転げ落ちそうな予感すらした。そして二日経つのに未だに何のニュースにも出てこないなんて、きっと捨てられたんだろう。本当に、可哀想。
 だから僕が救ってあげたんだ。だってほら、こんなにも綺麗な子なんだから。せめてもの幸せな夢を見せてあげようか、ってね。

「ほーら、ご飯だよ」

 綿絵が反応するのは決まって食事の時だった。それ以外はどんな時も僕に興味を示さない。この様子だと、徹底して「飢え」を覚えさせられたらしい。
 僕の作った流動食を、綿絵は文字通り流し込むように摂取する。僕をちらちら見ているが、何度も食事を与えれば警戒心はどうやら薄れつつあるらしい。

「うん、うん、美味しいね」

 子どもなんて居た事ないけれど、扱いならば慣れている。少し甘やかした声に、綿絵は小さく頷いた。この調子ならば、僕を認識するまであと僅かというところだろう。少し安心した。
 しかし本当に綺麗な子だ。真っ黒な髪は強くうねってはいるけれど艶はあるし、柔らかくて本当に綿のよう。肌はそれこそ綿の色。真っ白で、でもそこに艶もある。目は明るい茶色で、髪とは打って変わって色素が薄い。顔立ちも末恐ろしさすら感じる程綺麗だ。バランスという言葉は、まるで綿絵のためにある気すらする。歪みなどなくて、けれど曲線部位は柔らかい。
 ……崩れなければいいなあ、なんて、少しだけ思った。

「綿絵、僕たちはずっと一緒だよ」

 綿絵は言葉を理解していないのか、首を傾げた。その仕草すら、愛らしい。この造形美にその可愛い仕草なんて、もはや反則に値する。価値が、大き過ぎる。
 少女とは、無垢でいて美しくあるべきだ。そして……砕けやすくあるべき。奴はいつもそう言っていて、僕も成程といつも相槌を打っている。だってほら、仕事には真面目に取り組むたちだから。顧客づくりのための機嫌取りも必要な技量だ。

「綿絵」

 もう食べ終えていたから、そっと抱きしめてみた。一瞬こわばって、すぐに喚き声。つんざくような音に鼓膜が痺れたけれど、初日に比べ手はあげられなかった。

「可愛いなあ」

 大丈夫。あんな山奥に、彼女は捨てられていたのだ。そうやって一度絶望を抱いたこの子が、捨て場として幸せな夢を探すのはアタリマエなのだから。落ちるのなんて、きっとすぐ。過去なんてどうでもよくなるよ。


君が育ちだした秋

「最近? まあぼちぼち。だって本当そう言うしかないんだもん、残念だったね。そういや、今月はちゃんと明日までに振り込んでくれるんだろうね? 別に疑っちゃいないけどさ、でもほら一回そういうのがあると……うんうん、分かってる。社会的にね、社会的。あんたでもそういううっかりがあるんだって、ちょっと意外だったんだよ。ああ、うん。いってら。また連絡する」

 電話を切った。今日の奴の機嫌はすこぶる悪かった。奴は自分の失敗を追求されるのが嫌いなのだ。
 綿絵を迎え入れてから、早三ヶ月。風が涼しくなってきた。予想通り、綿絵は一瞬で落ちた。まるで刷り込みされた雛のように、僕に依存しきっている。だってほら、見たとおり。僕から一切離れようとしないんだ。今だってずっとしなだれかかっている。

「綿絵」

 名前を呼んでやれば「あい」と返事する。その顔はとろけきっていて、まるでマタタビをかじった猫のようだった。今のところ、その美しさは崩れていない。
 綿絵と暮らして分かった事は、比較的失語症は軽度だった事、そしていささか幼児退行を起こしていたという事。失語症から回復した頃には、かつての記憶など綺麗に消えていた。恐らく、彼女の中の自衛意識がどこかへと追いやったのだろう。本当に、都合がいい。素晴らしい。
 無垢とは、決して後から手に入れる事の無い価値要素だ。

「今日も可愛い」

 とろけた顔。常識や感性はどうにか保ったままだったようで、本当に幸運な拾い物をしたものだ。
 綿絵はすりすりと顔をすりつけてくる。ふわふわの髪がどうもこそばくて、笑みがこぼれてしまう。この仕草はさすがに僕が仕込んだ。
 綿絵は賢い。そして、素直だ。そんな生き物、そうそう転がっていない。ハイパーレア。希少価値高。綿絵を捨てた奴らには感謝しかない。だってそのおかげで、僕たちは出会えた。

「おに、いさ、ま」

 声も逸品。高くて甘い。しかしくどくない。もし頬張る事が出来るならば、即座に高級菓子と錯覚してしまいそうな声。欠点が今のところ見つからなくて不安なくらいだ。

「わたえ、おにいさまが、すき」

 その言葉に、僕自身がとろけそうになる。だから撫でるに留めた。
 堂々と窓があるのにも関わらず、綿絵は一切逃げようとしない。きっと逃げたところで宛がないのは綿絵自身が分かっているのだ。
 僕しかいないんだって。
 外から差し込む光が、壁に反射する。細かい輝きが、部屋を舞うように広がる。

「綺麗だねえ」

 僕の呟きに、綿絵は首を傾げる。だから、そっとその首の向きを光っている壁に向けた。

「ほら、綺麗な光だろう。綿絵も、ああなるんだ」

 今でさえ綺麗な子ではある。けれど、僕には綿絵をより美しく育てる義務がある。それが約束、というよりは契約。だからこそ、綿絵には美しい部屋を用意した。
 最近は食事も、用意出来る限りの高品質なものを食べさせている。内側からも、どこまでも。綿絵を美しくするために。そして室内での運動も適度にさせて、窓からの陽光もきちんと浴びさせている。綿絵を劣化させないために。

「きらきら」

 綿絵の口から出た言葉は、弾んでいた。この声を独り占め出来やしないかな、なんて思想は一瞬で撃ち殺した。



君の完成直前の冬

「まあそんなところだね。期日にはいい感じに間に合うんじゃないかな、大丈夫大丈夫。ああ、そっちは問題ないよ。何も手はつけちゃいないさ。そりゃそうだ、僕自らがそんな事する程落ちぶれているように見えるかい? はは、そりゃありがたい。ああ、じゃあそれでいこう。また連絡して」

 電話を切る。奴の機嫌はとてもよかった。信頼とは日頃から培っておくに限る。
 僕が電話をしている最中は綿絵に僕に近付かないよう躾ていた。綿絵はそれをしっかり守っている。そんな綿絵は今、衣服を脱いでいた。そもそも僕が脱ぐよう指示したのだけれど、タイミングが悪い時に電話が来たものだから。

「はい、気をつけ」

 綿絵はぴしっ、と背筋を正す。僕をそんな綿絵をじっくりと眺めた。週に一度の身体検査だ。
 第二次性徴は始まっているようだ。胸は膨らみだしているけれど、まだまだなだらかな坂程度。陰毛もわずかにしか生えていない。一番いい時だ。月経はまだだが、そこだけが懸念すべき要項だ。だってまだあと……一ヶ月もある。

「手をあげてー」

 綿絵は両手をあげる。僕の指示といえどさすがに少し羞恥があるのか、顔が赤い。
 脇を、指でなぞる。ほんの少し湿っていたが、嫌な気配はない。まだ、無事だ。艶さえ見えるそこに舌を這わせたくなったけれど、急いでそんな煩悩を滅多打ちにする。
 駄目だ、綿絵だけは。そういう、約束だ。今ここで僕が汚していいわけがない。

「はい、もういいよ。服を着て」

 綿絵はこくん、と頷くと畳んで置いてある衣服のもとへぱたぱたと駆けていった。張りのある臀部も、にきび一つ無い。全体的に肌そもそもが綺麗だ。
 年齢を鑑みても、綿絵は処女だ。念のため一度だけ軽く触診したが、無事だった。捨てられる前は虐待されていた様子だったが、そこだけは手出しされていなかったらしい。主犯は母親かな、とぼんやり思ってみたりした。
 ……もし綿絵が処女じゃなかったら。そう考えるだけで、ぞっとする。無価値に成り下がった綿絵など恐怖だ。

「綿絵」

 衣服を被りながら、綿絵は「あい」と返事した。滑舌は悪いが、むしろいい。子どもらしい。

「僕の言うこと、何でも聞けるね」

 毎日の確認。答えは分かりきっているけれど、不安なんだ。
 首を出した綿絵は、笑った。

「あい」

 一安心して、胸を撫で下ろした。
 綿絵はますます美しくなっている。拾った時のあの痛々しい傷はすっかり消え失せた。完璧な造形に、生命力まで追加された彼女は向かうところ敵無しだった。

「きれい」

 今日もまた、晴れ。そろそろ冬が終わるけれど、未だ日差しは優しい。日差しはやはり特殊加工が施された壁に触れ、オーロラのように輝きを膨らませた。
 綿絵は光に手を伸ばす。実体の無い光を掻くように、転がる。光を全身に浴びる綿絵は、きっとそれを養分にもっと美しくなる。
 嬉しいはずだし、喜ばしい事なのに。胸の奥に芽生えた別離の想像が、ちりりと僕を刺す。だから、焼き殺した。


君を●●●●春

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