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『爆撃』 ハワード・ジン著


noteの記事の初っ端として、これが良い題材とは到底思えませんがw、今日は岩波ブックレットの本を一冊紹介します。それはハワード・ジンの『爆撃』です。

 アメリカに盲目的に親和性を抱く日本人が多いのはなぜか、考えたことはありますか? 日本人の心の根底には戦争に負けたという感情が無意識に存在します。直接体験したわけではなくても、文化として戦中・戦後の人々の中から出てくるエートスによって今もそれを引きずっています。敗戦によって日本はガラッと状態を変えたわけですが、それは表向き。実際にはきちんと戦後処理が行われたとは言い難いところがあります。

 1953年の小津安二郎の代表作『東京物語』ではおじいさんとおばあさんは着物を着て歩いています。サザエさんの波平さんも家に帰れば着物です。しかし、東京物語の子供世代はすべからく洋服を着ています。なぜ現代日本人は我々が洋服で道を歩くのか、アメリカ型生活を基盤とするのか。戦後に行われた経済活動はもとより、教育もGHQ主導のものであり、当然ながら親アメリカ思想を導くものであったのは間違えないでしょう。Give me chocolateはイメージ戦略でした。戦後における資本主義社会に対する親しみの刷り込みは敵国アメリカから宗主国アメリカへの移行に役立ったと言えます。現在もアメリカの属国日本が続いています。日本の政治はアメリカの意向に逆らえないと言われています。しかし、21世紀ですから、そろそろ日本人は自分の普段の行動がどんな事に由来するのか真剣に考えるべきでしょう。そのきっかけ作りのため、今回は原爆が果たした役割について、アメリカ人であるハワードを通じて考察したいと思います。

 1945年が8月が敗戦ですから(日本はこの日を”終戦記念日”と呼びますがおかしな話です)、当時20歳であれば、今、2019年には94歳です。もはや戦争を直接知る人々はわずかであると言えます。彼らは戦後に口を閉ざしました。それは壮絶な体験であった事からでしょう。そのような体験について言語化するのは困難と言えます。私の祖父はフィリピンで戦闘に参加したと聞いています。どうやら敵と戦ったらしいのです。祖父は無事に帰国しましたが、その事実は詳細に語られる事なく、病気で60代という若さで亡くなりました。残念ですがもうそれを聞くことは出来ません。下河辺美知子氏は著作『歴史とトラウマ』にて、言語化困難な事柄はトラウマ化すると述べています。そして潜伏期を経て症状が現れるのだと。実際、顕在化しなかった戦争世代の感情は正常に浄化ないしは受容されたのでしょうか? 決して単純ではないはずです。戦後には安保闘争など様々な政治体制への事件が起こりました。おそらく負けた事を受け止めずに経済戦争へと移行してしまった事に起因している、それが現代の日本でしょう。私のもうひとりの祖父は、日本が戦争に負けたのは物量で負けていたからだと言っていました。戦後日本の物を作るという事への飽くなき欲求は決して経済的なものだけではなかったはずです。今度は経済でアメリカに追いつくというような感覚があったのでしょう。高度経済成長により発展した日本経済。エズラ・ヴォーゲルが1979年にジャパン・アズ・ナンバーワンを書くまでになります。自民党60年体制です。

 戦後生まれの日本人はアメリカ型生活を選好し、会社人間として生きるようになります。三種の神器など、物質的な豊かさは実際に人々の満足度を上げました。そして経済発展は地方の農村部から次男坊・三男坊を都市へと誘導しました。かつての日本の支配構造は家単位でしたが、より多くの税を集めたい国は個人をターゲットにします。税を金とし、金による課税統治が明確化していきます(シャウプ税制、1950年施行)。ベビーブームで増えた人口はそれぞれ家族を形成します。その住まいとして土地を買い、家を買うわけです。今まで山や田畑だった場所が売られ住宅地となります。かつては分家などで本家の敷地内に立てられた家が、別個に都市部郊外に作られたわけですから、キャッシュフローは相当に増えたでしょう。家を立てるなら、通勤の足がいる。鉄道や道路への投資が動き、それを支える鉄やコンクリなど土建に金が流れます。こうして山が切り崩され、郊外住宅が形成されていきます。ジブリアニメ『平成たぬき合戦ぽんぽこ』を観れば何が起こったのかは明確でしょう。こうして税収を増やした政府はそれを公共事業へと投下しました。池田内閣の「所得倍増計画」や続く田中角栄の「日本列島改造論」へとつながります。のちにこれはバブルの遠因になるわけですが。

 では、戦後の現代日本において人々の生活はどうなったのか。平和な社会は管理社会化を推し進めます。会社員、とりわけ財閥系の大企業に旨味が多いと分かった人々は大きな企業へ就職を目指します。選別の基準が大学卒という事になってくるといよいよ受験戦争のスタートです。そうしてエリートになるべく受験勉強の低年齢化が進みました。この過剰な競争は子供の心を歪めるには十分な要因でした。東大教授の安富歩氏は「靖国の母」という親の規範に苦しめられたと告解しています。高度成長社会において男子は、経済戦争における兵士として育てられたと分析されています。現代日本人男性は、その靖国の母の子・孫世代と言えるでしょう。明確な”男性差別”がここにあると言えます。マザコン的と揶揄されがちな日本人男性を育てたのは母であることを忘れてはいけません。その母の期待は「立派な日本人」であり、仕事をバリバリとこなし、家庭を守る兵士としての社会人です。そのようなエートスに囲まれているのは敗戦に端を発していると言えます。良く自民党の大臣が「子供を生む機械」というような女性差別発言をしますが、それは戦後のエートスの為せる事でしょう。60代あたりはモロに靖国の母の影響を受けた世代と言えるからです。ちなみに、このような男性差別によって育てられた男たちのメンタリティをカエル男とよび、カエル男たちを搾取をする存在としてタガメ女がいると看破したのは深尾葉子氏です(『日本の男を食い尽くすタガメ女の正体』ほか)。

 脱線したので話を原爆へと戻しますw

 現代日本人でウルトラマンや仮面ライダーを見たことない人はいないでしょう。どうして、これらのキャラクターが変身ものなのか。日本人を主人公としたヒーローものを創作出来なかったのは敗戦の影響という話があります。負けた国の呵責がそんな所にも現れたわけです。この分析の是非はともかく、敗戦へ決定的な出来事になったのは原爆です。原爆という存在はゴジラというメタファで物語化されました。東京に原爆が落ちたらどうなったのか。そういう思想性です。この心象風景はナウシカの巨神兵やエヴァンゲリオンの使徒に流れていきます。巨大なエネルギーが人のコントロールを離れ暴走する。それに理不尽にも襲われるという感覚。原爆に対する観念は、きっとそのようなものだったのかもしれません。しかし、原爆は天災ではありません。原爆という存在は明らかな人為性の基に誕生しました。我々はこれをどう捉えるべきなのか。政治的な意味においても、原爆投下にはどういう意味があったのか。アメリカの大義は「戦争の早期終結」であり、自国への攻撃対する反撃でした。しかし、ハワード・ジンは真っ向からアメリカの大義名分に反論します。

 ハワード・ジンはアメリカの歴史家であり、第二次世界大戦での従軍経験がある元兵士でもあります。彼のベストセラー『民衆のアメリカ史』において、市民から見たアメリカの歴史を語る事に成功しました。多くの教科書に載る歴史はまさに勝者の歴史であり、そこにはリアルな人間は登場することはありません。ジン氏はそれを覆し、如何にアメリカの歴史が欺瞞にみちたものであるかを克明に記述したわけです。そのジン氏が書いたのが『爆撃』です。この中で、広島・長崎への原爆投下に大義はなかったと指摘しています。表向きの大義は「早期戦争終結」や「犠牲者の低減」ですが、これは滑稽な議論です。まだ記憶にあたらしいイラクへのアメリカの侵攻は「大量破壊兵器」という理屈によって正当化されていました。しかし、実際にはそんなものは出てこなかった。現代の戦争では空爆による攻撃が行われ、ターゲットへのピンポイント攻撃が行われます。しかし、そこで犠牲になるのは大抵民間人であり、その非人道性から攻撃を受けた側は報復に向かうようになります。当たり前の感情です。そして、この感情を煽ることで、政治は戦争を促します。その心は、新しい兵器の使用であったり、威力の誇示による他国への威嚇であったりと、実に欺瞞的です。そして、往々にして自国の国民より、他国の国民の命の価値は小さいとみなす考えに陥ります。

 ジン氏は著書の中で告白していますが、原爆投下のニュースを聞いて「嬉しかった」と述べています。それは彼が空爆を行う空軍に属していたからであり、これで戦争が終わるのだと思えたからです。彼は何千メートルもの上空から空爆を行っていました。その時、地上に何が起こっているのかという事についての想像力はありませんでした。後に1966年に被爆者の集会「憩いの家」に招かれ日本の広島を訪れたジン氏は、言葉がつかえて話すことが出来なかったと言っています。そう、戦争に駆り立てられた人々は、他者の苦しみを理解できなくなるのです。そして、上層部はこのような人道的苦しみを隠蔽します。空軍ニュース映画将校ダニエル・マクガバン中尉が撮った原爆投下ひと月後の長崎や、彼が集めた他のフィルムは何年も機密にされました。また、日本においてGHQはプレスコードを発令し、検閲を実施して原爆の苦しみについての報道を一切禁止し、情報を書いたり放送したりすることを犯罪としました(プレスコードは1952年に失効)。それがどれほど戦意を喪失させるかを知っていたからです。

 ルーズベルトの跡ついだトルーマンは、アメリカ世論を原爆投下へ向けさせる事に成功します。自国民を殺した相手は極悪非道であって、殺戮に値すると思わせるわけです。心ある人々が居たことも確かですが、結局のところ、戦時下においては暴力性は人道性を上回るわけです。そして、攻撃に対して幾らでも言い訳を作り出せます。最後は「仕方が無かったのだ、相手が悪いのだから」と正当化するわけです。ジン氏は、客観的歴史的事実から、既に日本は降伏寸前まで来ており原爆投下に大義など無かったと述べています。原爆投下はもっぱら対ソ戦略であり、その威力誇示のためであったといえます。なんと人間は愚かなのでしょうか。

 「正しい目的」のために大規模な暴力が許容されると考える普遍的に戦争を肯定する考えは、否定されるべきでしょう。私たちは、どのような大規模暴力の行使は、どのような状況であっても是認できないのですから。そして、「正しい目的」など不確定であり、そのようなものに依存して意思決定をすべきではありません。

 一つ重要なことが、ジン氏の論考から浮かび上がります。それは戦争とは何か?です。『ヒトはなぜ戦争をするのか?』というフロイトとアインシュタインの往復書簡があります。アインシュタインからフロイトに送られたメッセージに対して、フロイトはヒトには暴力の本能があるのだと答えています。果たしてそうでしょうか? 認知科学・脳科学的視点からみれば、暴力とは「守る」事に相当します。ヒトという動物は、とっさのとき、「闘争か逃走か」という反応を示します。これは積極的に暴力を発露するという事を意味しません。生き物としては攻撃とは常に「守る」事です。怖がる人ほど、攻撃的といえます。例えば、よく怒る上司は実は「怖がって」います。部下が何をするのか分からないために、行動に制約をつけたいために怒るわけです。監督管理の責任をとらされるのが嫌だとか、部下のミスが自分の評価を下げるからだとか、様々な要因がありますが、攻撃的であるということは何かを恐れているといえます。

 これは組織間でも同じです。専守防衛のために攻撃をするというような考えの持ち主は根本的に怖がりといえます。他者を信用できないからこそ、攻撃を準備する。これが最大の動機です。戦争へと大衆が心を向けるとき、その根底には怯えがあるわけです。政治家は恐怖をあおり、自分たちにとって有益な争いを作り出します。庶民はこんなものに惑わされてはいけません。

 脳科学の最新の話に、保守とリベラルでは脳の反応性が異なるというデータがあります(Ahn et al., 2014)。どういう話かを少し解説すると、あらかじめ被験者たちにテストをして、どれくらい保守なのかリベラルなのかを明らかにしておきます。その後、機能的MRIによって、嫌悪刺激を見せたときの脳活動を計測します。嫌悪刺激というのは動物の死体などです。すると、保守を標榜する人の脳でより激しく活動生じます。特に扁桃体と呼ばれる感情に関わる脳部位が賦活します。これはどういう事か。リベラルな人たちに比べて、保守の人たちはより動揺しているとみなせるという事です。何に対してか? それは嫌悪な刺激に対してでした。実は脳のレベルで嫌な刺激に対して保守は過剰に反応していると言えるわけです。

 日本人に保守派つまり自民党支持派が多いとするならば、これは由々しき問題となります。戦争(攻撃)への動機は根本には「怯え」でした。脳の実験結果では保守はより怯えが強いと言えます。怯えが強い人は、攻撃に打って出ようとするわけです。一般に歳をとると保守的になります。現代日本は高齢社会を向かえ、社会全体が保守化していると言えるでしょう。この現状において、何か事件が起こったとしたら、保守派の多い日本は攻撃を志向するだろうと予測されます。それは怯えという弱い人間の所業なのですが、強気であると勘違いされています。小型犬ほど良く吼えるという事と同じです。保守は怖がりのため攻撃的になるのです。ネトウヨしかり、安倍内閣しかりです。一見して強気にみえる行為は弱さの裏返しといえます。日本全体が怯えている。私にはそうみえるのです。

 怯えの本質なにか? それはまた別の機会にて提示したいと思います。

 著書『爆撃』の内容を整理します。

・第二次世界大戦において、枢軸国は反ファシストを大義として戦争に参加 した。
・実際に日独伊は大きな犠牲を生む爆撃をしたが、反撃した枢軸国はもっと 多くの民間犠牲者を出した。
・原爆投下には人道的観点からは、大義など存在しない。原爆投下は政治的 な配慮と、威力誇示のための欲望を満たすために行われた非人道的所業で ある。また、政治的観点からも、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は無意 味であった。日本には既に降伏の準備があった。
・人は、報復による大量虐殺を受け入れてしまう。自分たちの行為について 疑問をもつのは難しい。どんなに頭が良く優秀な人でも、立ち止まるのは 極めて困難だと知るべき。
・原爆を製作した科学者たちは「技術的熱狂」状態にいた。結果が及ぼす非 道性よりも、兵器の効果に意識がむいてしまう。
・恐ろしいのは、近代国家の支配者や役人によって、大量無差別殺人が 行 われているという事実だ。決して、異常な人々によるものが主ではない。

 現代日本においてハワード・ジン氏の警句はもっと広められるべきです。そして、戦争というものに向かう社会情勢には断固として抵抗すべきです。

さて、ここからあなたの良心を問います。覚悟はいいですか?
先ほどまでは過去の話でした。自分にはまあ関係ないし~とか思った事でしょう。だが、ここからは違います。あなたはちゃんと事実を直視できますか?

まず、そもそも戦争するにしても道具が必要です。その兵器は誰が作っているのでしょう? たとえばこんな記事があります。

つまり、アメリカやロシアだけでなく先進国は中東へ武器を輸出しているわけです。それでいて彼らは紛争をやめさせるのだといって、中東やアフリカに軍事介入しています。中東で戦争が終わらないのは、武器を売る人たちがいるからとも言えます。自らが争いのための道具を提供しておきながら、紛争が起こるとそれをやめさせにいく。明らかに不合理です。そして大きな欺瞞です。要するに戦争とは金儲けの手段と言えます。その根本手段は、歴史を遡れば、大航海時代に端を発しています。そして日本もそれに巻き込まれたとも言えます。

詳細は別記事にしますが、日本では明治維新と呼ばれている歴史的出来事において、他国の干渉がありました。早い話がとある国に内紛を起こさせ、どちらの陣営にも武器を売りつけるという商売です。そのために日本は幕府軍と新政府軍に分かれて戦っています。その背後には武器を供給した外国の勢力ありました。外国はどちらが勝っても負けてもいいのです。どちらにもつばをつけておいて、多額の金をせしめればいいのですから。この方法は、結局現代的にも行われているといえます。自国ではない場所で紛争を引き起こし、そこに武器を投入する。また、それを正義という大義名分により、戦闘を行えば武器は消費されます。要は商売といえます。人々の怒りという感情を利用した商売、それが戦争の別側面です。

もう少し言えば、戦争を引き起こした地域では金の信用が下がります。そして戦争資金がショートします。すると外国勢は資金提供を始めるのです。もちろん利子つきの借金として。こうして、内紛を起こさせると武器は消費され、儲かり、その購入資金は借金として投下されます。争いが収まった後も、金の返済があり儲け続けられます。そういう構造が戦争や紛争の背後にあるわけです。なぜ9.11のあとアメリカがイラクへ侵攻したのか。報復のため? まさか。おそらくは金儲けのためです。この辺りは私もそこまで詳しくないので、追ってご紹介したいと思います。またこの手の欧米諸国の経緯を知りたければ、ユヴァル・ノア・ハラリ著『サイエンス全史(上・下)』などを参照してください。個人的には筧次郎著『自立社会への道』をおススメします。

日本では武器輸出は禁じられてきましたが無関係だったのでしょうか? いえ、そんなはずはありませんね。当然ながら、私たちになじみの深い民間企業が軍事に手を貸しています。そして2019年も現在進行形なのです。まずは、一覧を。

三菱重工や川崎重工などはとても有名ですね。ですが、いかがでしょうか。現代の軍事は総力戦です。あらゆる業界が軍需に絡んでいます。

少し考えてみてください。これは先の原爆とどう違うというのか。これらの企業に勤めている人たちは人殺しに加担している、もしくは人殺しにつながる技術や物品を提供しているわけです。何のために? 生活のため? 自分が生き延びるためには、他者を殺すことはオーケー?

軍事に役立つと思って開発したものではない。おそらく各メーカーはそう言うでしょう。ですが、人殺しに加担している国と取引をしている。それは理解しているはずです。しかし防衛につかうのだから、人殺しではないと。いくらでも言い訳するでしょう。

それならば原爆を作った人たちだって同じ事をいうでしょう。核を使用するとは思わないと。原爆があるおかげで抑止力が働き、争いを止めることが出来るだろう。ならば核兵器こそが人道的手段でるあるといい始めることでしょう。

果たしてそうでしょうか? そもそも、そんなものを作る理由があるのでしょうか? 人道的観点からいえば、大量虐殺兵器を保持する意味は何もありません。しかし兵器を溜め込もうとするのは世の常です。

こういう話をみれば、世界が巡っていることが分かるでしょう。私たちが使う銀行だって、軍事産業に加担しています。その銀行と取引をする我々もまた軍事に加担しているわけです。

結果的に、私もあなたも軍事に加担しています。リビアやイラン、ISISなど今も紛争が続く地域に自分は関係がないと言っていられません。まさに軍事産業はあなたの問題でもあるんです。

安倍政権になって、ぐっと防衛費が伸びています。この理由は防衛費によって利益を上げる経団連からのリクエストがあるのでしょう。そしてこれらの予算執行が行われると政治家や自民党にキックバックがあるはずです。要は我々の納めた税金で、大企業は仕事を請けて、人殺しのために生産を行っているという事です。政権に忖度した企業は国からの仕事で利益を上げられます。なぜそれをやるのか。簡単に言えば、不景気なのでBtoBなど内需が低下し大企業が儲からなくなってきたからです。困った企業は国に助けを求めて、政権はそこに金を出すという構造です。また、このような構造は、軍事に限りません。日本経済全体がこれと同じ構造になっています。詳細を知りたい方は石井紘基著『日本が自滅する日:「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!』などを参照してみてください。

原爆という過去の物語の話をここではしたわけではありません。むしろ、我々の生活自体が原爆からの一続きで成り立っているといいたいのです。そして、無自覚にもその実体を知らない、知らせないことで、そのような行為がまかり通っています。大いなる欺瞞ではないでしょうか。これは枢軸国が第二次世界大戦で、ファシスト連合への報復として非戦闘員を大量殺戮した事と、さして違わないことです。

これは日本人であれば知っておかないといけない事実だと私は思います。その上でどうするのか。私にももちろん解決の答えはありません。是非一緒に考えていきましょう。


さて今回紹介したのは
 ハワード・ジン著「爆撃」岩波ブックレットNo.788です。ここではディテールを全てすっ飛ばしていますので、詳細を知りたい方は手にとってください。

 またハワード・ジン氏の思想を詳しく知りたい方は、

『民衆のアメリカ史』や、学生向けに書き直された『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上・下)』をひとまず、おススメします。

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