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ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 1-2 都市・技術・貨幣

 「都市という都市が変圧器だといってよい。」から第8章都市は始まる。都市の成長の原因は何かに挑む。都市は常に現在進行形であり、分業と干渉からなる明白な規則性を持つ。その規則性の源泉は、都市の空間的な特徴からもたらされる。まずはそこから探っていこう。

都市の空間的特性

 1600年当時の都市は、出産が死亡を上回ることはほとんとなく、都市の成長は周辺の地域に頼らざる負えなかった。位置的な特権を持つ場所に人が集まり、市が開かれる。それは、河を登ってきた船の荷の積み替えて、小舟で上流に運ぶ波止場だったり、海から船が入る港だったりする。船が入ると人が集まり市が開かれ、また去っていく。それらを繰り返すうちに、市が定着し、根を下ろす。

 最初は範囲の狭い、毎日の生活の糧の補給活動は、その周りに拡散してゆく。その郊外町があっての都市であり、都市があっての周辺なのだ。この関係を、ブローデルは『視座の相互性』、すなわち我なんじを創造し、なんじわれを創造す、という。

都市の原型、文明

 もうひとつの都市の根本的特徴は、文明の所産であるということである。つまり、都市にはそれぞれ原型があるということだ。ここで、ヨーロッパ都市の特徴をみていこう。ヨーロッパは、5世紀まで育て上げたものが一期に崩れ、その後11世紀以降に復興するまで悩み続けた。そのため、ヨーロッパは、絶えず自己のありようを問い続けてきた。

 ブローデルは、ヨーロッパの都市は、自由を導きの星としていた、という。それらは、自律的な世界として、それぞれ独自的な特徴を創り上げた。一方、ヨーロッパ以外の他の都市は、長い間変化の少ない状態であった。このヨーロッパ都市の独自化の理由は、このヨーロッパの体験した挫折と復興にあるという。

都市の近代性 

 都市の基盤は、人口、日々の糧、経済である。人口は都市の周辺との人の移動によって支えられ、市が日々の生活を豊かにした。また、租税、金融業、公共サービスといった財政システムを創り上げ、この共同体を近代的な意味における社会とした。

 そこには、これまでの旧世界のしがらみから自由になった、有産市民が現れた。彼らは、都市と共に出現した資本主義の主役である。貴族の生活がどうにでもなれに対し、商人は自分の生活も時間もコントロールしたのである。時は金なり。彼らによって、近代的な都市は作り出された。

巨大都市の登場

 旧制度には、経済成長における問題があった。つまり、深刻な不均衡、非対称的成長、非合理的・非生産的投資などである。旧都市は閉塞状態に陥り、その解決は経済という新しい尺度が担った。旧制度では、農業に3/4の就労人口が必要だったが、職人、その他へ変わっていった。また、産業革命も、社会の非生産的な問題を解決するための必然だった。そして、昔の都市の周りに、工業化を武器として新しい都市が出現した。それらを可能にしたのは、私たちの目指すあたらしい世界と現在のギャップと、その解決のために自ら作った技術なのである。

技術と貨幣

 産業革命は突然現れたのではない。それは、至る所で出会うほころびの絶え間ない修繕の結果である。蒸気機関ができたのは、日々の修繕活動が加速され、結果として革命となったのである。『革新せよ、さもなくば死ぬ、さもなくば停滞せよ!』これまで私たちは、革新し続け、技術に支えられてきた。その意味では、技術は女王なのである。

 技術の一つとして、貨幣も大きな役割を果たした。交換は蓄積の源泉であり、旧世界を築き、貨幣は交換に奉仕した。ブローデルは、交換が経済の方向を定めた、という。物々交換から始まり、金貨・銀貨の経済が作られた。経済が成長すると、硬貨が不足する問題が起きた。その結果、信用取引が発明された。ただし、このアイデアは、昔から時々現れていたのである。この再発見された経済の仕組みによって、資本社会がより成長することになった。つまり、交換を基礎にした社会ができたのである。

日常性の構造を終えるにあたって

 ブローデルは、文明は一定の人間集団が一定の空間に定着したことにほかならない、という。経済生活は、規則性を基礎とする。しかし、私たちの生活は、不平等な凸凹で成り立つ。この凸凹のおかげで、世界が活気づき、より優れたシステムへと変化する。過去に資本主義を選択したのは、それが他のシステムに比較して自由を有していたからであった。資本主義が、自分が介入し、世界を経済的に変えていく原動力になった。

 今の私たちの眼前にある不公平社会の解決のために、私たちは何を想像するのか?そのヒントは、これまで私たちが信じていた尺度を変えるところにありそうだ。つまり、『革新せよ、さもなくば死ぬ、さもなくば停滞せよ!』は真なのか?仮に、経済尺度での停滞を選択し、新しい尺度として、生きがい、豊かさを目指したらどうか?そのような世界を目指すのかは、我々にかかっている。選択ができるのは、莫大な特権なのである!

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