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父と子と聖霊とに、栄えあらんことを

 今回は、『イタリア的:「南」の魅力』ファビオ・ランベッリ第2章イタリア人の宗教観ー「常識」としてのカトリックです。東京から転校して入った幼稚園がカトリックで、初日から「てんにましますわれらのちちよ」と呪文を唱えていました。それと生まれた時から亡くなるまで寄り添うイタリアの話です。

キリスト教の神は三位一体

 呪文の中では、短めで食事を摂る時も唱えていた詠唱、「願わくは父と子と聖霊とに、栄えあらんことを。初めにありしごとく、今もいつも世世に至るまで。アーメン」に、この神の定義が含まれていた。カトリックでいう「神」は、唯一の神なのだが、その正体は、父・子・聖霊の合体だということだ。子はキリスト、父は天にいるキリストを地に使わした神、それとこの世に働く神の意図である聖霊を三位一体として、神とし、問うことを許さないドグマとして定義する。
 面白いのは、神は、キリストを通して人間の状態を経験するという。そのため、神は神と人間、霊と身体などの境界的存在であり、罪を下すのではなく、人間の罪を許す。三位一体は、子と母ではなく、子と父なのか。それはヨーロッパの歴史、家父長制に由来がある。でも、イタリアやカトリックの人々が愛しているのは、実はマリア様だ。

明るい響き:天使祝詞

 少し長めだったが、唯一楽しみにしていたお祈りは、「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主、御身と共にまします。」ではじまるアベマリア。イタリアの教会に行くと、よくブルーのドレスを着たマリア様の像が置かれている。
 実際、その国で聖母マリアが如何に愛されているのがわかるのが、イタリアの祝日だ。11日のうち、2日がマリア様に関係する。8月15日、聖母マリアが昇天した祝日、12月8日、聖母マリアの無原罪の御宿りの祝日である。最初のは夏休みの真っ只中で、古代ローマを起源とするゆかりのある休日。休日は、農作業の暦と関係が深く、実際12月の閑散期には祝日が多くある。

日本とイタリアの神、愛の違い?

 イタリアの教会は、神の媒介でありその教えをこの世に実現しようと願う共同体であるという。地域に住む人は、積極的に教会の活動に参加する。子どもたちも土曜学校で学び、日曜日のミサに参加することで、カトリックについて理解を深める。ミサは、神を偉大な存在といて崇めるのではなく、神の弟子として、共同体メンバーを横につなぐ。一方、日本の神社は、捧げ物を祀り、神と人々は上下関係であるという(p73)。私はここに疑問を持つ。
 イタリアのカトリック組織は、法王を頂点に組織化されている。日本も同様な組織化がある。神と人々との構造はどちらも縦関係だ。しかし、違いは愛による相互関係性ではないか。カトリックの神との関係は、人を許す愛で結ばれることによって相互に繋がる。意味もわからない私が聖母マリアの祈りをあげたように、子供も神と関係が持てるのだ。一方、神社は、しきたり、礼儀はあるが、人々は願いを一方的にするのみだ。捧げ物も、一方方向。
 三位一体という、神であり、人であり、空気であることによって、神を身近に感じ、それによって人は神の愛を感じるのではないか。このドグマは大発明だったのではないかと、改めて思う。 


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