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資本主義を産んだ大商人

 ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』 交換の働きから、第3章生産あるいは他人の領分における資本主義と、自らの両分における資本主義を読んでいきます。

輸送と資本主義的企業

 「輸送は、生産の必然的な帰結」である。資本主義自体は、配送領域へは入り込まず、そこには商人たちの自由取引があった。そのため、資本主義の支配力は、配送の効率をみることによって知ることができた。

 この時代の陸運は弱小であった。飛脚、馬車、荷馬車の連結による配送量は、川による配送の5倍の量があったが、時間がかかった。また、農作業の空き期間に農民による輸送にも大きく頼っていた。そのため、農作業の予定がずれ込むと、配送計画自体に影響を与えた。

 全ての輸送は、商取引の中心である「旅籠」に依存していた。旅籠の主人は、運送業者の取次人であり、さまざまな税・通関料、運送料を運送業者に前払いし、商人から取り立てなどの代行をした。運送業者たちは、いわれた料金で商品を運ぶしかないほど、旅籠は運送業を仕切っていた。

 このような事態を変えるために公共運送業が提案されるが、商人たちの反対によって結局は使われない。王認定の運送業者の料金は固定されており、競争がないため、結局高くつくためだった。

海上輸送と原始的な共同生活

 川の輸送は、陸運と同様時間がかかり、しかも自然の影響を大きく受けた。一方、海上は初期の投資額も、大量の商品輸送によって得られる利益、賭けられているものも大きく、巨大な富をもたらす。大きな船には、数人の商人が乗り込み、彼らの商品を運ぶ。船は、カラットという区画に分けれ、各商人はその区画を割り当てられる。そこに商品を積むのである。

 海上生活の費用は、大巾着とよばれる共通会計から支払われた。船が大型化すると、カラットの保有者は船に乗らず利益だけを得る様になった。また、船と資金提供者の関係も多様化した。やがて、航海活動とは切り離された金融市場における投機になる。貸付に対して、合意された利息、保険が掛けられた。

前資本主義の赤字決算

 前資本主義に登場する大商人達は、生産や多様に分化した活動には足を踏み込まない。彼らは、市場、取引所、交換のネットワーク、人間との関わりを牛耳り、そこから得られる利潤配分の中心だった。

 また、18世紀までに大多数の工業だけではなく、船舶も流動資本の額が固定資本を大幅に上回った。持つのではなく、活用こそ富の源泉なのだ。さらに、「産業時代の資本主義は工業生産のみと関連を持つわけではなく、むしろそれとは程遠い」のであり、実は新しく登場した商人が鍵だ。

資本主義は商業社会の頂点

 商業活動が近代化する時に、分業が進み、人々の階層構造と不公平を作り出す。分業された活動が資本主義を支え、資本主義は、その全体の中に位置する。資本主義の頂点、金融、この時代の大商人は「私は鱈売りではない。私はコミッショネールなのだ」、と主張する。つまり、何も作らないが、コミッションを取ることによって仕事、利益を得ているのだ。

 大商人をトップに据えた階層の下には、生産者、行商人などのプロレタリアがいる。その他、商業世界によって生み出された簿記係、人足など。その上に、彼らを手中に納めて操る資本家たち、その上に統率者たち。

 専門化は下から上に起こる。一旦、小売店主が卸売商人になると、専門化から非専門化へ移行する。卸売商人になることは、むしろ多くのものに手を出す義務を負う。次に続く。。。

思ったこと

 日本の商社は、起業家であり、エコシステムの作り手であり、現在の旅籠なのだろうか。大商人はけして自らものを作らず、定住のための土地も所有しない。自分で作らないこそ、資源を持つ組織をつなげて、新しい価値を作り出すことが可能なのか?大企業がエコシステムの作り手になるのは、難しいのか?など、次の授業計画を考えながら思った。

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