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夜更けの思索宮

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時には哲学を、古代ギリシャを、あるいは皮肉やのイタリアの彼氏のような、ちょっといつもの場所をはなれて遊ぶ
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#デザイン

カントの「判断力批判」をデザインから読み解く

美を感じるのは人間だから カントは、表象(意識の中に現われてくるものやその内容)に対する3つの適意(快の感情)について議論する。その充足感の表現の違いを以下のように示す。 快適なもの → 満足する 心の傾きに関する適意 美しいもの → 意に適う 好みに関する適意 善なるもの → 高く評価し是認する、客観的な価値を認める 尊敬に関する適意  この3種類の中で自由な適意は、美に関する適意、「趣味」であるという。それは、感覚能力の関心も理性の関心も、わたしたちに同意を強制

『時』に生きるイタリア・デザイン-3: 「倫理的な観点」から認識されるイタリアデザイン

 第2回で多様なものを統一していくイタリアデザインについてみていきました。それができるのは、多様な考えの中でも一貫している、反インダストリー、反大量生産といったデザイナーの社会を見る皮肉的(irony)な視点です。戦後生まれたラディカルデザインは、そのものがもつ本質を再発見することを目指しました。今回はその後のイタリアデザインの展開についてみていきます。 イタリアのポストモダン宣言 1980年のベネツィア・ビエンナーレには初めて建築部門が加わり、ディレクターのパオロ・ポルゲ

『時』に生きるイタリア・デザイン-2: 「相違の中の統一性」を追求するイタリアデザイン

 前回読んだところで、1923年のミラノビエンナーレから1930年にトリエンナーレとなった後、1968年以降の開催が不定期になります。その後、2016年の第21回トリエンナーレから3年ごとに開かれています。この不定期になった部分が気になって、「4. イタリアのインダストリアル・デザイン、5. イタリアのインテリア・デザイン、6. デザイン空白時代」を読み進めました。 イタリア人にとってのデザインの意味 イタリアの建築家などが使うプロジェクトという言葉は、設計する・企画すると

『時』に生きるイタリア・デザイン-1: 歴史が紡いだ文化と現在を繋ぎ、とことん遊ぶイタリアデザイン

 今回は佐藤和子氏「『時』に生きるイタリア・デザイン」の読書会初回で、「序、1. 1990年代。モダンクラシックの風、2. 1930年代のイタリア・デザイン、3. 敗戦からデザイン黄金時代へ」まで読みます。イタリアは20世紀を通じて、モダニズム、ファシズム期のデザイン、戦後の復興、1960年代のデザイン革命、ポストモダンデザイン、そして21世紀の現代デザインへと移り変わってきました。英国、北欧、アメリカと比較すると、イタリアのデザインはその時代ごとの文化的、社会的、経済的背景