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凡庸な医者には患者の手を握る暇がない



僕の専門は糖尿病で、研究と臨床とを半々くらいの比率で行っているので、それなりに患者さんを診る。というより、医師免許を取ってから20年を超えたが、留学中の6年間を除いては週の半分以上を外来患者さんの診察をして過ごしてきた。

先日敬愛する養老孟司先生の文章を読んだ。最近先生は虚血性心疾患を患われた様だが、そこに結びついてか、医師の診療態度について書いておられたのが興味深かった。

養老先生曰く、今の医者はコンピューターの方ばかりを向いて、患者さんを見ようとしない。患者さんを見ないのはその方が楽だからだ。脳は数値化された情報を扱うのは得意だが、身体というのはもともと自然に属するもので、人間が脳の力でコントロールできるものではない。特に患者さんのよくわからない悩みや不定愁訴は、数値に表せないため対処がしにくく、医者が最も嫌うものなのだ。そこで医者がやることといえば、とにかく検査をして、数値が正常であることを示し、病気はありません、ということにして患者さんの悩みまでなかったものにしてしまうのだ、と。

医者が患者の方を見ないというのはもはや言い古された言説だが、これを脳と自然(身体)を対極においた『唯脳論』の頃から変わらない養老先生のやり方で解説され、僕も医者としてなるほどそういうところは確かにあるなと自戒したのだった。

したのだったが、ただ、と私は言いたい。私には私の言い分はある。私は糖尿病医として患者さんと対話するのが治療の大半を占めると信じているし、なるべくお話したり手を握ったりしたいところなのだが……

日常診療では、やらなければいけないことが膨大すぎて、そんな暇がないのだ。

例えば私が勤めている総合病院の場合、患者さんの呼び入れ、データの確認(そのデータも項目は20−30には及ぶ)、そのデータを時系列で比較し、おかしな動きをしている項目はないかチェック、それを患者さんに説明し、その上で場合によってはお薬の変更や検査のオーダーが必要なのでそれも説明、患者さんのご都合を訊いて次回の予約の処理、それに合わせて検査日の設定、処方日数を計算し処方箋の作成、患者さんによっては自己血糖測定器の処方と自己注射指導料の算定処理を行う。これらのことが最低限で、もし患者さんに具合が悪かったり、何か相談事があったりした場合はそれに適切に対応する必要があり、必要に応じて適切な検査のオーダーと結果の確認が必要だ。そしてそれら診療内容の全てを電子カルテに記さなければならない。

これらは今や全てコンピューター上で行うもので、医療行為である以上すべてを正確に、しかし基本的に限られた時間内(普通は10分以内)で終わらせないといけないのだ。

僕は糖尿病の専門で、血糖値というわかりやすい数値が全てを物語ってくれる診療科なのでやや特殊かもしれないが、基本的に僕のような凡庸な医者にとっては、病気の見逃しをしないこと、そして諸々の事務手続きを正確に行うこと、の二つにリソースの9割くらいが取られてしまうので、ほとんどコンピューターとにらめっこになってしまい、とてもじゃないが患者さんの手を取る暇はない。もし患者さんの手を取ることを優先してしまったら、何かのミスが起きて薬局や事務から電話がかかってきたり患者さんから苦情がきたりするし(結果としてその対応に余計に時間がとられてしまう)、データの確認がおろそかになって見逃しにつながったりしたらそれこそ医療ミスになってしまい本末転倒だ。

では一人に30分ずつかければ良いのではないか、そういう予約体制にすればよいのでは、と思われるかもしれないが、それだと診療できる患者数が極端に減ってしまう。大学病院ならそれでも許されるかもしれないが(現実的には「あの医者はほとんど患者を見ていない」という苦情がほかの医師からきてしまうのでそう言うわけにもいかないのだが)、開業医や一般病院では病院経営上そんな悠長な外来は許されない、というのが実情なのはお分かりいただけると思う。

と言うわけで、僕のような凡庸な医者は、コンピューターの方ばかりを向いている。でもそれは、すこしでもミスが無いように、適切な治療ができているように、と願いながらの精一杯の努力なのだ。

将来AIがもっと普及すると医者の仕事が取られてしまうと懸念する向きもあり、確かに上に書いたような僕らの診療プロセスのほとんどはAIで取って替えられるものという気がするが、僕としては、そうした事務手続きや数値の判断から解放してもらえたら、むしろもう少しゆったりと患者さんの手を取りながら診療できるようになって、良い変化になるのかもな、などと思っている。


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