良いGRITと悪いGRIT、やり抜く力と鬱との関係

子供が今5歳なので、子育てに関する記事や、場合によっては子育て本なんかを時々読む。そうすると僕が子供の頃には無かった考え方がたくさん出てきていて、確かに昔に比べると児童心理学なんかも進歩しているだろうし、少なくともいろいろな価値観や選択肢が親の側にあることは子供にとっては良いことだろうと思ったりしている。

この前そんな新しい考え方の一つとしてGRITというもの知った。GRITというのは「やり抜く力」と訳されていて、Guts=「ガッツ」、Resilience=「粘り強さ」、Initiative=「自らが目標を定め取り組むこと」、Tenacity=「やり遂げる執念」という4つのスキルの頭文字を取った造語だ。成功に重要なのは才能ではなくGRITだ、成功した人は皆GRITを持っているということで、GRITをいかにして伸ばすかといった記事をちょっとググっただけでもたくさん見つけることができる。子育てにおいてGRITを伸ばすことが子供のいわばハードウェアの部分を高めることにつながり、物事に粘り強く取り組める様になった子供は結果として成功を得やすい、ということだろうか。僕の高校の先生も口癖の様に、勉強ができる子は「集中力と持続力、そして真面目さ」があると言っていて、これは本当にそうだなあと思っていたのだけど、GRITも同じ様なことを言っている様に見え、確かに説得力がある。

ただここから先はよく知られていないのではと思うのだが、実はGRITには良いGRITと悪いGRITがある。具体的には、情熱、幸福感、目標設定、自制心、リスク・テイキング、謙虚さ、粘り強さ、忍耐という8つの要素と結びついているGRITは良いGRIT、どれかが著しく欠けていたりすると悪いGRITとなっている。これだけではわかりにくいと思うし、僕も全てを理解しているわけではないが、実は僕が最初GRITという考え方を聞いたときにちょっと心配になった点があって、調べてみると懸念していたのはまさに悪いGRITの典型の様な状態で、そしてこの状態には日本人、特に研究者などが陥りやすいので、ここでそんな例を記しておきたい。

さて、僕は中高一貫のいわゆる進学校を出て良い大学に入り、医者になって研究もやって少しは業績も出て、とありがたい人生を送っているが、これは自分で振り返ってもGRITの貢献が大きい気がする。僕は残念ながら何か一つのことに特別な能力を見せる様な子供ではなかったので、そういう意味で「才能」みたいなものは無かったし、数学や物理なんかは特に苦手だったのだが(理系のくせに英語や国語の方が好きだった)、諦めの悪い性格で苦手な科目も勉強したので、どの科目も人並み(か、それよりほんの少し上の程度)に満遍なくできる様になって、結果として受験では大きな取り漏らしが無くなって総合点で合格してきた。というか、それが少なくとも僕の自分自身に対する正直な見立てだ。この諦めの悪い性格、というのがまさにGRITで、もちろん僕の小さい頃はこんな言葉はなかったが、母は随分と厳しいやり方(スパルタ教育)で、結果として僕にGRITを育てていたのだと思う。

しかしながらこれまでの人生で、成功の反面、GRITのお陰でかなり追い詰められたことがあるのも事実だ。例えば僕は研究を始めてから最初の論文が出るまで6年もかかっている。そしてその論文も、僕が所属していた研究室にとっては最もインパクトファクターが低い部類の雑誌にしか通らなかった。その間僕の後輩たちはもっと短い時間でもっと良い雑誌に論文を通していて、それを見て僕は、ああ自分には才能がないんだ、早く研究なんかやめた方が良い、と何度も考えた。もちろん教授も、僕は臨床に転向した方が良いと、折に触れ有形無形の形で僕にプレッシャーを与えた。

ところが僕はそのことを受け入れることができなかった。安西先生の言葉を引用するまでもなく、人は諦めた時点で挫折になるので、一生挑戦し続ければ失敗は訪れない(とどこかの偉い人も言っていた)。僕もなまじGRITがあったためにGuts=ガッツをもって、Resilience=粘り強く、Initiative=自らが目標を定め、Tenacity=やり遂げようと執念深く研究を続けた。辞めることができなかった。僕はまだ30歳くらいだったので、「これはもう見切りをつけて、もっと自分が幸せになれる人生を目指そう」と考えられればまだまだ人生の修正は効いたはずなのだが。

結果として幸運なことにまあまあの論文を出すに至るのだが(これは全く今から思うと幸運以外の何物でもないのだが)、この論文が出るまで、研究を始めてから実に11年がかかっていた。

この間僕はほとんどうつ病寸前まで追い込まれた。

もし11年目に満足できる論文が出なかったら、僕はどうなっていただろう。ポジション的に考えても、研究はさすがに続けられなかっただろう。多分臨床医として仕事をしていただろうと思うが、多分僕は「研究より臨床の方が役に立つ」と強がりを言いつつ、実はコンプレックスのかたまりで、不幸せで自虐に満ちた人間として生きていくことになったのではないだろうか(自殺する勇気があったら別だっただろうが)。

これが悪いGRITの一つの形ではないかと僕は思う。僕のGRITを先に挙げた条件に照らし合わせると、多分圧倒的に欠けていたのは幸福感で、そして人の意見に素直に耳を傾ける謙虚さも欠けていた。むしろ泥沼に嵌れば嵌るほどますます意固地になって、素直に人の意見を聞けなくなっていた。

こういう状況は僕に限って起こる話ではない。僕の周りの研究者でも、特に僕と同じ様に受験戦争を戦ってきた様ないわゆる秀才タイプの人は、同じ様な状態に陥りやすい様に見受けられる。彼らは受験勉強の勝者として、また社会的にも成功した医師として、GRITを持っていることが多いが、業績がなかなか出ず研究で芽が出ないとどんどん自分を追い込み、そしてしばしばうつ状態寸前と言った体になる。

僕は自分の子供が成功したら嬉しいが、僕みたいにうつ寸前になるまで自分を追い込んで欲しくはない。もっと早く切り上げて、自分の幸せを探して欲しい。ではどうすれば良いGRITが育てられるのだろう。良いGRIT、悪いGRITと言われ、幸福感とセットになったGRITを育てるように、と言われても、正直雲をつかむ様で、僕には皆目見当がつかない。むしろ僕が唯一思いつくのは、GRITと並行して諦める能力もバランスよく高めないといけないのではないか、ということだ。どなたかが人生のモットーとして「まあいいか、なんとかなるさ、ひとは人」という3ヶ条を挙げておられたが、まさにGRITの対極に位置する様なそんな考え方も時に人生には必要で、子供がその二つをバランスよく身につけられる様に、子育てをする。うーむ、難しい。


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