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D&D和物:準備

和物ランダム遭遇(案)。1d8+1d12は5版のDMGで久しぶりに出ましたね

サムライ・ファンタジーじゃなくて“和物”

 “ダンジョンズ&ドラゴンズで日本風の冒険をする”というアプローチはずっと前からあった(1985年にAdvanced Dungeons & Dragonsの『Oriental Adventure』がでている)。

 例によってボンクラだった自分も、中学校の赤箱青箱で遊んでた頃から何らかの形でキャンペーンにはサムライやニンジャ、カタナを出していた。
 ただ、ウィザードの隣にカタナを持ったサムライとシュリケンもったニンジャがいて、というかたちのD&Dは、やっぱりウィザードリィの延長の風景だし、「ヨーロッパ風世界にサムライがやってきた」風景であって、和物ではない。
 さっき触れた『Oriental Adventure』はカラトゥア(Kara-Tur)という中国や朝鮮半島、日本をイメージした東洋風ファンタジー世界で、当時としてはだいぶ真摯にいろんな要素を組み込んでいるのだけど、今見るとどうにも古い(当然だ40年近く前だぞ)。
 2001年に出たD&D3版のOAは、『Legend of Five Rings』という中世日本をイメージしたゲームを元に、さまざまなクラスやモンスター、呪文他を追加したサプリメントで、東洋のイメージやその記述を時代に合わせて大幅にリファインしており、英語圏からみた戦国サムライファンタジーとして、とても良かった。今でもたぶん正解の1つだと思う。 

 実はこの3版のOriental Adventureの風景そのままな映画がある。『47 Ronin』という。

 ヨーロッパ圏の風景伝承怪物その他をごたまぜにして剣と魔法とモンスターのD&Dファンタジー世界を作ったのと同じようにして、東洋圏のあれこれを混ぜて刀と妖術と化生のモノの冒険物語世界を描いている。
 たいへん、おもしろい。
 けど、形になったおかげでハッキリとわかった。
 どうも自分は、Oriental AdventureなD&Dがやりたいわけでは、ないっぽい。

サムライって、必要か?

 別に、『47 Ronin』の日本描写が期待してたものとは違う、って話じゃない。
 アラゴルンとレゴラスとギムリが走っていそうな雄大な風景のなか、丘に半分埋もれた大仏だとか、雪の舞う暗黒国家“長門”だとか、そういうのはいつまりは“ガワ”なんで割とどうにでもなる。
 “D&Dな日本”として僕が違和感を覚えたのは、実は『47 Ronin』やOriental Adventureで“日本らしさ”として大事にしてくれていた、登場人物のメンタリティ――つまりは“忠義”であり、身分制がかっちりした世界観だ。
 名誉を重んじ、そのために自死をも厭わぬ精神と、卓越した武術を身につけた戦士像というのが英語圏のデザイナーにとって魅力的なのはわかる。
 だけど、“化け物や魔法が国土のあちこちに跳梁跋扈する世界”で“冒険者が自由に往来し、切った張ったする”D&Dで、あの(キャラクターの心情まで)かっちり組み上がった社会体制だと、ぶっちゃけ遊びにくくないか?
 それよりは前。源平合戦の前くらいの、源頼光と四天王が酒呑童子や土蜘蛛退治してた頃から始まり、世の中がもうちょっと乱れて、諸国往来するさまざまな技能を持った連中が、それぞれ思惑なり欲望なりがあって旅をしてて、寺社や皇室も力の及ぶ範囲がわりと狭かったころ。
 その頃の方がD&Dを遊ぶのにちょうど良くないだろうか?
 つまりは『日本昔ばなし』や『もののけ姫』であり『どろろ』や『戦国妖狐』だったりする。
 そのあたりの物語が、和物D&Dにちょうどいいんじゃないだろうか?

舞台はどこでPCは誰か

 ダンジョンズ&ドラゴンズというゲームの優れたところは、冒険の枠組が明確で、話が作りやすいところだ。
 刊行されてるシナリオは大河ドラマ的な戦役キャンペーン(『ドラゴンランス:女王竜の暗き翼』)や異世界遍歴(『ウィッチライトの彼方へ』)など、物語の規模も冒険の空間もデカいのが提示されてるが、DMGなどで示されている冒険の枠組は1つのダンジョン、幾つものつながった部屋とそこに住むモンスターから構成された閉鎖環境だ。
 それこそ最初は4マス×6マスの長方形をグラフ用紙にちりばめて、そこを1マス幅の通路で適当につなぎ、それっぽくモンスターを配置し、宝物を詰める。こんな“ダンジョン”でも遊べてしまう。
 そこに挑むPCたちも、歴史上やフィクションの中にも本来は存在してなかった“冒険者”という役割を用意することで、そこに挑む理由になった。ファイターやマジック・ユーザーというクラスは、冒険者にできることを明確にしてキャラクターの個性を出させると同時に、この“ダンジョン”を攻略するチームプレイというゲームの楽しさを可能にした

 キャラクターを使って異世界で冒険をする、だけじゃなくて“ダンジョン”と“冒険者”という、普通のユーザが遊びやすくデザインしやすい“遊び場”の枠組を作ったのがD&Dの成功の一因と僕は考えている。
 同じことを和物でも用意したい。

 で、それに一番向いているのは“漂泊者であるPC”による、”化け物退治”という枠組だろうと僕は判断した。
 いずれ理由は書くが、理由としては手塚治虫の『どろろ』が完璧だったからだし、『日本昔ばなし』を探れば旅の武芸者や行者やお坊さんが、狒々なり大蛇なり鬼なりなんなりを退治した話だらけだ。
 そして一つところにとどまらぬ旅人というのは、幕府だか朝廷だかとにかく統治する権威の支配と保護からははずれたところ、和風物語の中では他に得がたい“自由”を持っている。
 その自由はもちろん、定住者からは不審の目で見られ、次の日の屋根や食も保証のない厳しい生き方ではあるけれど、望むまま天下を往来し、好きに人と語らい、名声や富を得るのも、信義に殉じて戦場の露と消えるのも思うままというのが、D&DのPCには相応しいだろう。

イメージした作品

 これまでに見聞きしてきた和風伝奇作品やファンタジーの全部が下敷きにはなっているけれども、特に今回のキャンペーンにおいて影響が顕著な作品を以下に上げる。

 ということで、次のエントリから少しずつ記していこうと思う。
 なお、キャンペーンそのものはすでに終了しており、プレイヤーの1人、たきのはら氏が自サイトでレポートを書いてくれている。

 上記サイトではすでにキャンペーン1話分が掲載されている。このNoteでは、たきのはらのレポートを元にしつつ、DMとしてのシーンやメモを適宜追加して行こうと思っている。

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