見出し画像

セリーヌ・ディオン

音楽の話が続いてしまう。

当時僕は踊り、振付に夢中で、
創作意欲は、発掘意欲だった。

今思うと、なんとなく僕は、
緩徐楽章が好きなんだと思う。
次が終楽章、コーダなのかなと。

乱暴に言えば、だいたいにおいて、
起承転結の承が緩徐楽章で、アダージョが多い。
結が終楽章で、コーダでフィナーレを迎える。

セリーヌ・ディオンは、
コーダに相応しい声の持ち主だと思う。
というと、多少語弊があるかもしれない。

もちろん起承転結、彼女ならどれも歌える。
しかしコーダを歌える声は、限られるとも思うのだ。

華があり、余韻に浸れる。
もちろんその才能を発揮できる、
楽曲やプロデューサーとの出逢いもある。

カナダで歌うセリーヌ・ディオンを見つけ、
アメリカに連れてきたのは、デヴィッド・フォスターだ。

「美女と野獣」は、1992年に発表された、
英語版2枚目のアルバム
「セリーヌ・ディオン」に収められた。

先に書いた通り、
ウォルター・アファナシェフ渾身のプロデュース。
ダイアン・ウォーレンが書いた名曲
「I love you goodbye」についても触れた。

映画「美女と野獣」は、
ディズニー・アニメ復興の狼煙として成功する。

だが主題歌でデュエットだったこともあり、
日本ではアルバム「セリーヌ・ディオン」が
それほどヒットしなかった。

それでも、ソニー・ミュージック。
このアルバムの5曲がダイアン・ウォーレン作だった。
僕にとってはこのアルバムこそ、セリーヌ・ディオンだ。

日本で彼女がブレイクするのは、1997年公開、
空前の大ヒット映画「タイタニック」の主題歌、
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」まで
待たなければならない。

正確には95年にテレビドラマで起用されて、
日本での人気に火はつくのだが、
マライア同様に浮ついたブームは残念でならない。

94年に初来日。97年に2度目の来日をしている。
僕がどっちを観に行ったか、覚えていない。

99年の3度目の来日で活動を一旦休止する。
自身の出産と夫の看病が理由だ。

真面目でよくリハーサルもするし、
ツアー仲間は90年代からほとんど変わらず、
カナダ人が多いとも聞く。

あの歌声は、天性だけではない。
人間性、魂の叫びなのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?