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死ぬな。どうせ死ぬんだから。

久しぶりの投稿。飲酒していなせいか、文章を書く気持ちが出てくる。
大きな経験もしたし、そのせいだろう。

感じてしまう事がある。事実であり事実だった。

「俺はアイツより頑張っている、アイツなんかに負けるわけがない。
 俺の方が年収が高い。クソみたいな人生でやめちまえ。」
サラリーマン時代に、電車で見かける9割以上の人間に思っていた
頭のよぎり。こうやって自分を奮い立たせて生きていたのかもしれない。
今でも感じる時がある。

今でもふと出てくる、この人に対する馬鹿にした思考。
「やる気がないならやめちまえ」「生きている価値がないんじゃないの?」
この考えで、生きてきた。
漠然としているが、これが表に現れて人を傷つけている、
まだ自分でもはっきりと自覚がないが、明らかな僕の欠点だ。

変えるべきだけど、変える必要があるのか。

「死のう」と思って、変える必要があることに少し気が付いた。

自分が価値のない、生きる意味のない人間に思えたからだ。
立って歩く事さえ出来ない。床に落ちたゴミを拾うのも精一杯。
明らかに邪魔な人間。生きている価値がない。

以前noteに書いた「廃用身との等価交換」を見てもらえば、
動かない体でも、生きる意味を見出せていた事が理解してもらえる。
あの時は「前向き」否か「躁」の状態に入りかけていた。
寝ることも忘れて、前に突っ走っていた。もうサラリーマンじゃない、
全ては、今までの生き方が報われた結果だと感じていた。
会社も立ち上げ、順風満帆な1年を過ごしていた。


あのね、

病気になっても、病気後の「心の中身」が変わっていなかった。
絶望的な体で過ごした約1年間の入院期間は、僕の心を変えていなかった。

1年が経過し、思ったような経過を出せない頃から「躁」が「鬱」に
変わり始めた。自覚のない人への接し方、金遣いの荒さ。
「こんな自分が自分しくて結構」
今思うと(今でもそうだが)何も変わっていない。

ある時「鬱」が突然顔を表した。
「死んだ方がいいよ」と。

「死のう」と試み失敗し、精神病院へ入院した。
2か月間の入院生活。
「こんな自分が自分しくて結構」
この考えは、今でも残っている。なかなか変えることは出来ない。
でも、少しは自分を変えようとしている。
人に散々迷惑をかけたのも原因だ。それだけじゃない。まだわからない。
年かな。何かな…。

ただ、生きてる。

見えない何かがある。まだ見たい=生きたい。
もう十分見てきたのに、まだ知りたい。


一生懸命走らなくてもいい。
結果ださなくてもいい。
人に迷惑をかけてもいい。
見たいものを見ればいい。
何かを感じればいい。


死ぬのも十分人に迷惑がかかるんだ。生きてろ。
あんまり人に迷惑かけるな。存在してるだけ迷惑なんだから。節度を知れ。
人の為に生きなくていいから、生きてろ。死ぬな。迷惑なんだよ。死ぬな。

たまに心から笑顔になる時がある。
生きる意味が見えるから。
少しの幸せで十分だ。
心の底から感じられる幸せがある。それを知っていてよかった。

1年に1回あるかもしれない「謎の幸福感」
失敗ばかりだから「謎の幸福感」を感じられる時があるのかもしれない。
これでいい。

迷っているって、生きている証拠だよね。


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