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【2/29】「静謐」を生活にとりいれるー「ハマスホイとデンマーク絵画」展

東京都美術館で3月26日まで開催されている……はずだった、「ハマスホイとデンマーク絵画」展。新型ウイルス感染拡大防止のため、3月16日までは休室とのことである。今行けない場所の展示をおすすめするのもどうかと思ったが、もしもこれを読んで「ほーん」と思った人がいたら、休室明けの17日以降に、ぜひ上野まで行ってみてほしい。ほーん。

日本で初めてヴィルヘルム・ハマスホイの展覧会が開催されたのは2008年とのことで、私はそのときは行かなかったので、今回(27日に行きました。ギリギリセーフ!)初めてハマスホイの絵画を観た。事前情報をほとんど入れずに行き「なんとなく、フェルメールっぽいな」と思ったらそれもそのはず、17世紀のオランダ風俗画の影響が認められているとかで、「北欧のフェルメール」などと呼ばれているらしい。この「なんとなく、フェルメールっぽい」ってなんなんだろうと考えていた。光の当て方とか、そういうのかな。

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《ピアノを弾く妻イーダのいる室内》1910年 国立西洋美術館蔵

そもそも、ヨーロッパでは長く絵画といえば宗教画や神話画で、その絵画を注文するパトロンはカトリック教会や王侯貴族だった。オランダでは17世紀に早くもその風潮に変化があり、教会や貴族ではなく市民が、風景画や風俗画や静物画を買い求めたということだ。「日常の何気ない瞬間を切り取る」ことは、当時としてはおそらく発想の大転換であり大革命だったのだろう。ただし本当に素朴な意味で「日常の何気ない瞬間を切り取る」をやっているわけではないらしく、この時代の静物画には実はキリスト教の象徴的な意味が込められている場合もある。我々がインスタにあげる写真も、本当に素朴な意味で「日常の何気ない瞬間を切り取る」をやっているわけではなく、キメキメの1枚をバチバチに加工しているものね。「日常の何気ない瞬間を切り取る」のは、なかなか難しいのだ。(※1)

ヴィルヘルム・ハマスホイはデンマークに生まれた人で、この「日常の何気ない瞬間を切り取る」の流行が、オランダより少し遅れてやってきた19世紀を生きた人だった。初期は人物画や風景画も描いていたが、次第に室内画が創作活動の中心になったらしい。

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《室内―開いた扉、ストランゲーゼ30番地》1905年 デーヴィズ・コレクション蔵

ハマスホイの室内画には、基本的に、人がいない。ドアと、窓と、食器と、花瓶と、萎れた花がある。もしくは、女性の後ろ姿だけがある。家族が揃って食事をしているような、クリスマスツリーを囲んで踊っているような(※2)、幸福な家庭生活を描いた室内画ではない。誰もいない室内を描く。

私はこの、人の気配がない室内画がとても気に入ってしまって、それは私が一人暮らしだからかなと思った。一人で暮らしていると、基本的に、室内で人間が目に入ることがない。萎れた花を眺めているのも、雨の音を聞いているのも、窓から差し込む光の眩しさに気付くのも、私だけだ。おそらくこのことを世間の大半の人は「寂しい」こと、だと思っていて、実際に、ハマスホイの絵画は少しだけ寂しい。だけどやっぱり、私はこれをなかなか贅沢なことだとも捉えていて、ハマスホイの絵画にも、寂しさと豊かさが、確かに同居している。

そしていきなり俗っぽい話になるが、今回「う、上手いじゃん……」と思ったのが、グッズ販売である。通常、美術展のグッズ販売というとまず3000円前後の図録がどどーんとあって、ポストカードがあって、なんかしょーもないクリアファイルがあって、「これ、日常で使う!?」っていうトートバッグとかがあって、正直ちょっと垢抜けないものだ。しかし今回は、雑貨とインテリアの国、北欧様の、しかも室内画の展示なのである。展示に直接関係のあるグッズ以外に、デンマーク発の食器とかフラワーベースとかキャンドルスタンドとかを並べて売りやがるのである。「オシャレな雑貨を一緒に売るな! 買ってしまうだろ!!!」と私は怒り心頭だったが、私の前に並んでた人もレジで「18000円になりま〜す」と言われていたので、このことにはみんな怒っている可能性がある。だけど、絵画展と一緒にイイ感じの雑貨を売るというのは戦略として超ありですよね。「う、上手いじゃん……」と悔しがりながら、私もきっちり7000円使って帰路についた。

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《農場の家屋、レスネス》1900年 デーヴィズ・コレクション蔵

フェルメールやハマスホイの絵画は、「静謐」という言葉によって説明されることが多い。そして、フェルメールは日本人に大人気だし、本来私たちは「静謐」がけっこう好きなはずなのだ。しん、としている感じ。だけど、それがわりと悪くないものであることを、たまに忘れてしまう。

図録は買っても本棚にしまい込んでしまうけど、グッズは部屋に飾っておける。今回私は6600円の、えーと、フレームを買ったんだけど、これはしまい込まなくてもよい。いつも目に入るようなところに立てかけておけば、ハマスホイの描いた「静謐」を、寂しさに豊かさが同居することを、今よりはちょっと思い出す機会が増えるだろう。

まあそういうわけで、今回は東京都美術館に、まんまとやられたな、と思ったのであった。

(※1)そういう意味じゃねえ

(※2)私はこれも好きだった。ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》。


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