【輪島裕介/視点3:演歌】芸能の性別越境を回復し演歌の規範を突破する

――“演歌界のプリンス”と呼ばれてきた歌手の氷川きよし。このところ、“変身”が見られるとして話題となっている。また、週刊誌で“生きづらさ”を語ることもあった。しかし、これらがいわゆる“カミングアウト”に当たるとは言いづらい。一体、何が起きているのか――。フワッとした報道ばかりの状況下、本誌は徹底的に論じる!

輪島裕介(音楽学者)

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わじま・ゆうすけ
1974年、金沢市生まれ。大阪大学大学院文学研究科准教授。『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社新書)で第33回(2011年度)サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した。ほかの著書に『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽 』(NHK出版新書)がある。

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左より『ひばりの森の石松』DVD(東映)、『ひばりの三役 競艶雪之丞変化』ポスター。

“待望の”という感覚です。氷川さん個人の性的な指向について私がどうこう論じる筋合いではないことは大前提ではありますが、性別を越えていくようなパフォーマンスを取り入れることは、歌手として“待望の”ことでした。

 氷川さんはここ20年、演歌という音楽ジャンルを一手に担ってきました。2000年に彼が登場したことで、演歌界が延命したことは間違いありません。演歌界のスターらしいスターは彼だけです。フォロワーのような若くて線が細くてきれいな男性歌手をたくさん生み出しました。業界の期待を背負ってきたといえるでしょう。

 しかし、演歌は本来、氷川さんが“プリンス”“国民の孫”として体現してきたような、品行方正でマジメで型にはまった日本的なものを表すものではありません。それは、歴史を振り返ればすぐにわかること。

 芸能者は両性的に性を自由に行き来するものでした。今も歌舞伎で見られるように普通のこと。ジェンダー的な規範が押し付けられて内面化されていったのは、この半世紀ほどではないでしょうか。今回の特集のテーマに当てはめて考えると、“芸能の性的な越境がタブー視されるようになった”ということ自体が暴かれるべきタブーではないかと私は思っています。そのタブーを彼自身が暴露し、芸能にもともとあった性的な越境を取り戻した感があります。

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