詩編1:5(Psalm1:5)

עַל־כֵּ֤ן ׀ לֹא־יָקֻ֣מוּ רְ֭שָׁעִים בַּמִּשְׁפָּ֑ט וְ֝חַטָּאִ֗ים בַּעֲדַ֥ת צַדִּיקִֽים׃

【ヘブライ語は右から左に読む】

新共同訳
 神に逆らう者は裁きに堪えず罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。

口語訳
 それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。

KJV
 Therefore the ungodly shall not stand in the judgment,Nor sinners in the congregation of the righteous.

「עַל」「upon」
「כֵּ֤ן」「だから」
「לֹא」「not」
「קוּם」「立ち上がる」(未完了)(三人称男性複数)
「רָשְׁע」「犯罪者」(男性複数)
「בַּ」「in」「מִשְׁפָט」「判決」(男性単数)
「וְ֝」「and」(接続ヴァウ〔過去・完了〕)「חַ」「the」「חַטָּא」「罪人」(男性複数)
「בַּ」「in」「עֵדָה」「会衆」(女性単数)
「צַדִיק」「正義」(男性複数)

 こうやって見てくると新共同訳の翻訳方針というのは
 独特なものだったのが分かる。
 神学生として、やはり、直訳的な方が、正しいと思ってしまうが、
 新共同訳で何十年もやって来たのだから
 正しさとはそういうものだ。
 讃美歌は、54年度版の方がいいという人がいるように
 あるいは、マタイの「幸いなるかな」が染みついていることなど
 翻訳も、また、正しい、とされてきているものを
 共同で信じていくべきなのだ。
 特に、新共同訳はエキュメニカルが方針にあっただろうから
 思想として重要な訳である。

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