詩編2:1(Psalm2:1)

לָ֭מָּה רָגְשׁ֣וּ גֹויִ֑ם וּ֝לְאֻמִּ֗ים יֶהְגּוּ־רִֽיק׃

【ヘブライ語は右から左に読む】

新共同訳
 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち人々はむなしく声をあげるのか。

口語訳
 なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。

KJV
 Why do the heathen rage, And the people imagine a vain thing?

「לָ֭」「に」「מָה」「why」
「רָגַשׁ」「騒動」
「גּוֹי」「国」
「וּ֝」「and」「לְאֹם」「人々」
「הָגָה」「うめき声をあげる」
「רִיק」「空にする」

 今日は、未来短歌会全国大会に参加して来た。
 総会、対談、シンポジウムとためになる話を聞いた。
 私は、岡井隆氏を遠くから眺めて「生、岡井隆だ」と喜んでいただけなので、ほとんど知らないが、
 キリスト教徒として、「大洪水の前の晴天」という歌集の題は、救いについてのイメージと、同時に反対して少しアイロニカルなものを感じる。
 大洪水は、神が人類の堕落を嘆いて、起こすものであり、また、ノアという人物だけを選び取る人類救済の物語でもある。
 私たちキリスト教徒は、「終末」と「救済」の二つに挟まれた信仰を持っている。
 つまり、人類は、「やがて」審判を受ける者であり、「すでに」イエス・キリストによって、罪の贖いが成されている者でもある。
 洪水に引き付ければ、私たちは、「ノア」と一緒に「箱舟」へ乗れる者なのだ。
 ここに「選民思想」があると言われるだろうが、
 救いは、常に開かれている。
 キリスト教信仰は、常に開かれている。
 後は、私たち自身が信仰に至るか至らないか、なのである。

 明日は名古屋の教会で説教奉仕があったのでタイミング的に辛うじて参加することができた。
 明日の為に、ルーティンで心を落ち着け、寝ようと思う。

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