統合失調症 人格が変わってしまった娘をこの胸に取り戻すまで No.6 変化2

最初にH先生に診てもらってから言いつけを守り、出来る限り娘のやりたいようにさせ、2年後くらいには平穏な日が3日ほどは続くようになりました。

とはいっても完全に平穏ではありません。つんざく様なわめき声は出さないということで、ちょっとしたことで「もういいよ!」となることは何度もあります。

私達家族は常に娘の顔色を窺い、言葉遣いに気を付け、気に入らないことがないように先々の手を打っていました。

大好きなTV番組がお休みの日の為にDVDをレンタルしておいたり、好きな食べ物を用意しておいたり。とにかく隅々まで神経をつかっていました。

こうやって頑張っていても数日後にはまた爆発。何かに取り憑かれたようにわめき、怒鳴り、泣き、手が付けられない状態に。

こんなにも毎日、一日中気を張り詰めて娘のためだけに生きていてもその努力は一瞬でかき消される。この頃から私は死を考えるようになりました。

いっそ二人で死んでしまおう。そのほうが娘も幸せだと。頭の中ではどうやって死のうかと、そればかりを考えるようになりました。

ひとしきり喚き散らして疲れ果てて眠る娘の顔は昔の可愛い娘です。その顔を見ると余計に悲しくて「どうしてこんなことになってしまったのか」と思わずにいられませんでした。

でも、あと1か月頑張ってみよう。まだ頑張れる。そう自分に言い聞かせてその日その日を生きていました。

私が死を考え始めたのに対し、主人は全く違っていました。

「きっと治る 諦めるな」

こんな絶望的な状態でも主人は治ると思っているんだ。それが不思議でした。でも、お陰で私も頑張れたのかな。


努力が実ったのか、3年目あたりから私には心を開き始めました。

夜眠れないと「おかあさん、一緒に寝て」と言うようになり、二人でベットの中で色々話したり、歌を唄ってあげたり。娘が眠くなるまで長いと2時間~3時間かかった時も。

それでも髪を撫でてあげたり、身体をさすってあげたりできる時間は私にはとても幸せな時間でした。だって、最初の頃は身体に触れることすら拒否されていたから。

そして娘が眠りについても私はしばらく娘にキスしたり、そっと抱きしめたりしました。

「どうか治りますように。昔のあの子に戻りますように」そう願いながら。


発症から3年、少しずつ心を開いてきた娘。落ち着いた時間が1週間、10日と長くなっていきました。

そして喚くときもその理由が変わっていきました。


今日はここまでに



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