統合失調症 人格が変わってしまった娘を取り戻すまで No.8 変化4

転院してからも娘は徐々に落ち着き、薬の量も少しずつ減らせるようになってきました。

でも、今度は新しい問題が出てきました。

娘は電車に乗って通っていました。学校に行きたいという気持ちが強かったので1時間の道のりも2度の乗り換えも平気でした。というより、統合失調症になって性格は攻撃的でしたから何も怖いものはありませんでした。だから電車で通うことも平気でした。

ところが病気が少し落ち着いてきて性格も攻撃的ではなくなり、何が何でも学校に行きたい!という気持ちも薄らいできたかわりに一人で出歩くのが怖くなってきたのです。

「お子さんがホームで泣いていたので駅務所でお預かりしています」

こんな電話がかかってきました。

電車が遅れるというアナウンスに急に不安になり泣き出したとのことでした。

ちょうどこの頃は3.11が起こった後で、小さな地震が起こって電車が止まるということがよくありました。娘にはアナウンスの内容がよくわからず、不安が募ってしまうのでしょう。


こういうことが何度か続いた後、何も起こっていない時でも例えば乗換駅などで「あれ?間違ったかも?」と急に不安になって泣き出すようになりました。

帰りに仲良しの友達が降りる駅まで行ってしまい、知らない駅からあちこち彷徨って帰ってくることもありました。

もちろん娘には携帯を持たせ、常に居場所を確認できるようにサーチしていました。

毎日自宅で娘の居場所を何度も何度も確認し、今どこの駅にいるか、違う駅に居ないかをチェックしていました。娘が家のドアを開けるまで私は心配で胃がキリキリ痛む日々でした。


通学では使わない駅に娘を見つけた時は血の気が引きました。

一人で帰って来られないかもしれない。他人に聞けない精神状態なら無理だろう。落ち着いているだろうか、ちゃんと帰り方を聞けているだろうか。泣いて喚いていないだろうか。トイレは大丈夫?行きたくなっても一人では探せないかも。間に合わなかったら・・・・不安に押し潰されてしまいそうでした。

主人に仕事を抜け出してもらい、娘を探し回ってもらうことも何度もありました。

こんなことが続いて数か月、私はこんなことならもういっそ送り迎えをしたほうがマシだと思いました。

こうして私は娘の送り迎えをするようになりました。

朝、学校まで1時間。取って返して1時間。それから買い物に行き家で2~3時間したらまた1時間かけて学校まで。そしてまた1時間かけて家に帰ってすぐに夕飯の支度。

かなり落ち着いたとはいえ、ちょっとしたことでイラつくのもまだまだあるのでそんな時は30分、1時間と娘の気持ちが落ち着くまで側に居て話したりして。発症してから数年、もうすっかり疲れ切っていた私には更に過酷な日々になってきました。

これでは私の身体がもたないと通学支援サービスを受けることにしました。学校に迎えに行ってくれて自宅まで連れて帰ってくれるのです。人員が足りないとのことで週に2日だけでしたけど、それでも私には「迎えに行かなくていい日」があるのは本当に助かりました。

でも、この支援も高校生まで。卒業したらもう受けられないサービスで、ほんの半年ほどで終わってしまいました。


高校卒業 その後はどこにいく?どこが受け入れてくれるの?

幸い、学校には大学部がありました。もちろん、普通の方が通うような内容ではありません。障碍者が社会に出るまでに自分の得意なことを伸ばしていけるようなカリキュラムが組まれたところ。

でも、年間150万円。既に高等部で同じくらいの額を払ってきて貯金を使い果たしたのに更にまた年間150万円は正直厳しい。でもまだ娘をこの学校から引き離すのは無理だろう。ここに通うしかありません。

そんなことを考えて居た時、先生のほうから嬉しいお誘いを受けました。

ほんの数年前から学校はNPO法人として障碍者支援事業として自立支援や就職支援の部門を立ち上げていました。

高等部に通った人は優先的にそちらに移行させてもらえるとのこと。これは娘は一切お金を払う必要がありません。そういう制度を知らなかった私達には本当に有難い話でした。

一般の大学部の人達と同じ場所で同じような内容の支援を受けながら2年間通える。仲の良かった友達と離れることもない。

あと2年、あと2年でなんとか今よりももっと良くなってここを笑って去れるように。

そう願いながら娘の大学部生活(実は自立支援だけど娘には大学部と話しておきました)が始まりました。


今日はここまでに


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