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岸井明(色川武大のジャズ)

ダイナと月光価千金

第2章の終わりでは、岸井明にもふれており、唄では「ダイナ(Dinah)」と「月光価千金=月に告ぐ(Get Out And Get Under The Moon)」が紹介されている。まずは岸井明で「ダイナ」。1935年の録音、当時のSP盤(Victor 53606)と蓄音機で。

ヴァイナル盤では10枚組LP「日本のジャズ・ポピュラー史」の戦前編("Victor SJ-8003-1-10")にも収録が、このLP盤は色川武大御大も所有していた。

そもそもはジーグフェルド・プロ(あの"Ziegfeld"のプロダクション)によるエディ・カンター[Eddie Cantor]主演のミュージカル「KID BOOT(邦題、映画「猿飛カンター」の舞台版)」の劇中歌だった由(ちなみにダイナ・ショア[Dinah Shore]の"ダイナ"はこの曲に由来)。その日本語バージョン、訳詞は上山雅輔(劇作家としても著名、古川ロッパ日記にも度々登場)。編曲は谷口又士、この曲ではトロンボーンも担当(井田一郎の"チェリーランド"にも参加していたパイオニア期からのジャズマン、東宝の前身PCLのオケでは指揮も務めた)。そしてこれが岸井明のメジャーデビュー盤だそうだ。

次も岸井明で「月に告ぐ(月光価千金)」、公式音源。

ルーツは1936年の録音で、そのリマスターだと思う(やはり先に紹介のLP盤にも収録が、それで...御大、戦前-復興期の国内ジャズに関しては、このLP盤のシリーズを聴きつつ筆を進めていたのでは?)。

訳詞は岸井明。編曲は上杉定(著明ヴァイオリニスト? SP盤でよく見かける)。当時、ポピュラーでは、その一つはビング・クロスビー[Bing Crosby]によるボーカル・バージョン(ポール・ホワイトマン[Paul Whiteman Orch.]フィーチャー)。そのクロスビーに心酔していたそうで、先に紹介のデビュー盤(Victor 53606)、もう片面は「プリーズ(Please)」=クロスビーの持ち歌(1932年、この曲はまた後で紹介することに)。

ところで色川御大、ざっくり言って、唄&ヴォードヴィル系では、二村定一と岸井明を推奨なのだ。特に岸井明では、端的には、作詞能力(トランスレート)に注目している。例えば「月光価千金」では、エノケン[榎本健一]のバージョン(訳詞は波島貞)よりも優れている云々(この岸井版が優れるという点に関しては、作家の井上ひさしも同見解)。「ダイナ」は上山雅輔の作詞だが、これも例えばデイック・ミネ(三根徳一)版「ダイナ」よりも岸井版が優れるとしている。どこがどう優れているかは、御大による解説が、本書にて参照されたし。

エトセトラ&エトセトラ

この章の標題曲に戻し、岸井明版「イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー(Yes Sir,That's My Baby)」もあったそうで、けっこう聴いたつもりだけれど、依然、それらしき音源に出逢えていない。また別の曲では、橘薫(エッチン)とのデュエットがあるそうで、ぜひ聴きたいのだけれど、これも音源は如何に?

そのように不明な、というか... その存在からしてなんとも(勉強不足)、映画俳優か、歌手なのか、はたまたタップも踏めるボードヴィリアンなのか?

否、有名な方ということは存じております。映画では「大菩薩峠(1957年)」での与八役(ただ、机龍之助では1960年の市川雷蔵版だと思う。ちなみに中里介山による原作は超絶に面白い)。あとは「銀座カンカン娘(1948年)」に、古くても「エノケンの孫悟空(1940年)」ですかねぇ...という曖昧ママ。

唄では、60曲近いレコーディングがあるそうだが(当時、プロ歌手としては多くもなく...少なくもない、という曲数ではあるまいか? 歌手という存在の位置付けが現在とは異なる点にも留意されたし)、実は色川御大の随筆で再認識&レコード購入に至った次第で...。

ボードビルにコメディアンとしての活動もよくわかってないという浅い知識では、なんとも締まらないが、はたして岸井明論というものはあるのだろうか? ちなみに小林信彦著「日本の喜劇人」でもふれられていない(ただ小林氏は、御自身の目で見たことのみを記述する流儀、単純に、接点がなかったのだろう)。

コメディに演技が出来て、唄えて、作詞才能にも優れ、そのユーモラスに巨大な姿はキャラクターとしても強い。映画&舞台にまつわる雑談は古い芸能誌にも散見される、また古川ロッパの日記にも、ちょいちょい登場と。それと、おだやかな容姿に反してストレートな物言いをする方だったようで、徳川夢声曰く「悪口の名人」など、エピソードにも事欠かないが、いずれも深く掘り下げたような話ではない。

そこは岸井明に限らず、戦前-復興期の喜劇人にまつわる記録そのものが少ない。特に、その舞台なりなんなりを当時、直に見ている者により記述された文献(クロニクル)は稀。小林氏が述べていたのだけれど、そのような資料は、古くは「旗一兵氏の...云々しかない、は、調べるほどに、ほんとにないなぁ...と。

その旗一兵著「喜劇人回り舞台」を参照では、藤原釜足との"じゃがたらコンビ"(東宝、30年代後期)、その後に森川信との"のらくらコンビ"(戦後の松竹、40年代後期)での活躍があるそうだが、その実像が見えてこない。

(藤原釜足&森川信ともに晩年は名脇役としても名高い。藤原は、例えば1970年の映画「どですかでん」で、渡辺篤に担がれて、貰った自尽薬=実は胃薬を飲み珍妙な演技を見せる。森川は「男はつらいよ」の初代"おいちゃん"役)

ところで、なぜに興味が? は、御大による紹介はふまえ、先に紹介の「ダイナ」に例えても、それ以前、本家US版、またデイック・ミネにエノケン版も知ってはいたけれど、特に好きな曲でもなかった。でも岸井版に接し、まるで別の曲の...ようではないか=bluffとしても、御大ほどに上手く説明できないのだけれど、妙に新鮮で、そんなこんなで人物そのものに興味が。ただまあ、ぞろっぺいに資料を漁ってる段階でもあり、今後の宿題であります。

(紹介の公式動画はYouTubeの共有機能を利用しています。SP盤動画に関しては隣接権が消滅であろうと思われる、また権利が消滅もしくはJASRACまたはNexTone管理下に置かれている曲です)

第4回[ジーグフェルド・フォリーズ(レビューとミュージカルの違い)]
第6回[戦時下の笠置シヅ子(色川武大のジャズ)]