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今の【当たり前】が数年後には【当たり前ではない】かもしれないという話

大切なことは直前まで話をしてもらえないのに、どうでもいいことは毎日話してもらえる母さんです。

最近、母さんの聴力を確認するかのように、

「ただいま~」でなく、「たらいま~」と帰ってきて、

それに気づかず「おかえり~」と答えるかどうかという謎の遊びが流行っている我が家。



リビングや台所にいると、帰ってきたのはわかるけれど、

「ただいま」か「たらいま」かの区別なんて、わかるはずもなく。

「残念!今日は、たらいま~でした♬」と嬉しそうに言われることも。

どちらにしろ

「おかえり~♬」と言っておけばいいので返答は楽なのですが、できれば、違う時を当ててみたいもの。(クイズ好きあるある)


っでふと思ったのです。


基本、母さんは「おかえり~」と言う側で、家族から「おかえり~」と言われることが圧倒的に少ないなって。

もちろん買い物や役員会から帰ってきた時は、「おかえり~♬」と迎えられるので、全くないわけではないのですが。


「ただいま~」と言うと

「おかえり~」と声がする。


当たり前のことかもしれないけれど、言われる数が少ない母さんにとっては嬉しい言葉の一つ。


そういえば

一人暮らしを始めた時、誰もいないのに

「ただいま~」と言いながら玄関で靴を脱いでいたっけ。


あと数年後、



子供たちが独立したら、「ただいま~♬」の声も毎日聞くことができなくなるのかぁ。


そうだとしたら



おかえりが言える毎日も貴重なのかもしれないなぁ。


【当たり前】の挨拶も数年後には【当たり前】ではなくなるのかぁ。


などと


カレーを作りながらあれこれ考えていた母さんなのであります。










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