麻雀と欲   麻雀戯言

麻雀があまり理屈では動かないゲームだと言うことは、これを御覧頂いている諸兄には先刻ご承知のはずである。
将棋や囲碁のような定石ってのは、たしかに麻雀にもある。
しかしながら定石に従って打てれば結果がともなうかどうかはわからない。
無責任のようだがわからないのだ。

将棋や囲碁はすべての情報が盤面にある。
従って変化とかそういうものが定石化しやすい。
精密に変化を追っていけば強いものが勝つ・・・決定勝負と言われる所以だ。

麻雀が大いに違うのは情報がすべて表に出てこないことである。
壁牌と呼ばれる「山」の中にどんな牌がどんな順番で積まれているかはわからない。
従って常に打牌には選択がつきまとう。
摸打の一部始終が選択の連続なのである。
それでも牌効率とか牌理と言うものが存在し、こう打てば状況が有利になるという理屈がある。
長い目で見ればそういう効率は役に立つ。
しかしながら選択が繰り返すってことは理屈どうりには行かないってことだ。
理屈通りに行かない理由の多くは「欲」にある。

麻雀は4人で行うゲームであるので(サンマはおいといて)、その中でトップを取りたいという欲は試合開始直後には皆が持っている「欲」である。
場況が進むに連れて個人個人の「欲」はその姿を変える。
トップが無理な状況になれば2着を目指す。
それも無理ならせめてのラス回避である。
その「欲」が打牌を変えていくのだ。

得点を競うゲームであるから少しでも高打点が欲しい・・・これも「欲」。
親番を早く落として次局にしたい・・・これも「欲」。
負けている場合は少しでも挽回したい・・・これも「欲」。
すべての選択は「欲」とのふたり旅なのだ。

もしもである。
麻雀から「欲」をすべて捨て去ったならそれはもはや「麻雀」ではないのではないか?と思う。
この欲と選択が噛み合った状態が、俗に言う「ツイている」状態なのではないか?
近頃・・・そう思うようになって来た。

私も人間なので「欲」はある。
「欲」とのふたり旅で麻雀を楽しみたいと思っている。

最後に・・・単に麻雀好きなオヤジの戯言です。


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