獣性
人間社会は、理性で自分の身を固めなくちゃ渡っていけない
制服をきちんと着てね、あと、式典の時はうごうごしちゃいけません
保育園の時ごめんなさいをすぐに言えば許されると気づいたあの瞬間から、私も頑張ってたよ
なんでも言うこと聞いたし、9時半に寝ろって先生に言われたら本当に9時半にベッドに入った
あの頃は全く怒られなくて生きやすかったな
獣性の反対は神性だって言ってる人を見た
勉強が趣味なんて宣っていた小学生時代はまるで神童みたいに褒めそやされていた
けど、それが本心なわけなくて、私はどう言ったら人が喜ぶかってことしか考えてなかった
浅ましい、最悪な子供だ
だけど全ての契機は14歳の時から。
私はあの時から自分で自分の人生を歩み始めた、物心がついた。
こんなはずじゃなかったけど、去年面談でなんで勉強できないのかって話になって、口をついて出た。
「私は欲に忠実だから、したいことしかできません」
なんでこうなったのかは知らないけど、私は堪え性のなさすぎる人間になってた
ただ椅子に座っていることすらも。中学生の時授業中に大声で叫びながら教室を飛び出してやろうと何度も思った。結局しなかったけど。理性も兼ね備えてあるから。
朝起きられずに遅刻も増えた。
そもそも最近は学校も諦めてるし。提出物とかそういう、どんどん先生の言いつけに背いた。
1人で部屋で寝転んでたまに起き出して何か食べるだけ。冬になるとそれだけになる。
耐えられないからだ、適応した方がむしろ生きやすいことは分かってるのに
それでも優しい人はまだ、好きに生きていいんだよなんて言ってくれる
でもそれは、違う、私はこのままじゃ生きてけないよ
上に書いたような適応できないことはまだ序の口で、私は私の大半を占める気持ち悪い欲の部分を本当に誰にも見せてはいけないって分かってる。
でもこれを見せないと、私のほとんどは理解してもらえないことも分かっている
常に何かを「隠す」ことを念頭において会話するから、他者との会話がぎこちなくなったりするんだということも分かってる。
けど結局はすぐに逃げられて、顔も名前も知られずに済む液晶画面の中でしか言えない
例えば5年前にした唯一の恋のこととか、色々。
私が自分のことを話すのが怖いのは、自分の根本の気持ち悪さが受け入れられないのが怖いから。
刹那じみていて、嗜虐を帯びている性質を私自身が気持ち悪いと思っているから。
少なからず誰しも持ってるものだとは分かってても。
前に一時的な快楽なんか無駄だって言ったことがあるけれど、本当はそればっかりを求めている。
未来の私が困るとかそんなことは考えてなくて、目先の自分の安心を可愛がっている
「持続可能な」を目指す社会に生まれてくるには、少し、いやだいぶずれている。
結局は自分の生まれてきた時代に適応できなければ、人は生きるのが難しいよ。
私みたいな人が生まれてくるべきは、目の前の生きることに精一杯になれる時代だったんだと思う。
生きるだけなら割と簡単になって、今度は先のことを考えて行動しよう!みたいな理性の時代に生まれてくるには、あまりにも。
私は本当に似合ってないんだと思います。
誰にも理解されようと思ってない自分の日記を読み返すとやっぱり1番正直で、気持ちがいい。
剥き出しで気持ち悪いし。めちゃくちゃ気持ち悪いのが良い。
脳内と音声では「あたし」の一人称だから、たまに書き殴った文章にそれが混ざってるのが面白い。
そうだ、飼い慣らせないあいつのことを「あたし」って呼んで、死にたい私の事を「私」って呼ぼうって思ったんだ。
頭の中では、いつもあたしと私が喧嘩してる。