Fさんが笑った日の話
Fさんはまるで林静一の描く大正の少女像のような、黒髮を少しモダンなボブカットにした、静かに教室の隅で読書しているような、言ってみれば文学少女のような女の子だった。
もちろん、Fさんは友達とも話すし声を上げて笑うし、要するに僕と接点が無い、というだけのことで、普通の女の子だったのかもしれない。しかし僕はFさんに上記の先入観を勝手に抱いていたので、絵になるな、と勝手に思っていた。
高校の文化祭で、僕はクラスの連中とバンドをやろう!と盛り上がった。
当時僕は軽音部に所属しており、そちらでもギターを弾いたりベースを弾いたりしていたのだが、「高校の祭で盛り上がらないヤツは人生の敗残者だ」という信念の持ち主で発起人のE君はギタリストだったので、僕はベースを担当することにした。
E君のような熱い信念の持ち主は得てして「意余って力足りず」になりがちだが、そこは言い出しっぺになるだけのことはあり、マイケル・シェンカーを神と崇めるなかなかの腕前だった。最低限あとドラムとボーカル、できればサイドギターも欲しいな、と思っていたら、意外と我がクラスは多士済々であったようで、すんなりとドラマーとボーカルは見付かった。
ドラムのUくん表向き優等生なのだが、英文法のA 先生に本気で惚れて告白までしていたという噂の異彩を放つ男で、これまた樋口宗孝を神と崇めるというラウドネス命の男であり、手数の多さが男の価値と力説する愉快な男でもあった。
残念ながらサイドギターは見付からなかったが、キーボードにYを巻き込んだ。Yは幼い頃からピアノを習っており、暗譜でジョージ・ウィンストンの『あこがれ/愛』を弾けるという特技を持っていた。キーボードなんて同じだ、譜面は渡すから音色だけをハモンドの音にでもしておいてくれ、と雑な誘い方だったが、案外とすんなり引き受けてくれた。
ボーカルは2人が立候補した。正直に言えば名前も覚えていない。素人ボーカルなんて誰が歌っても同じだし、2人いりゃ厚みも出るだろ、というのがEとUの言い分だった。顔だけは良かったので、集客はバッチリだと思ったのは内緒にしておこう。
「スタジオ代は割り勘だしな」というのがEの本音らしかった。不憫。
当時の僕は、ゲディー・リーとマーク・キングを神と崇めて日夜祭壇に礼拝するベース莫迦で、フィンガーピッキングでバッキバキの音を出すことに命を掛けていたテクニック至上主義者だった。
こうした面子の内に2人もメタルフリークがいるのでは、当時猛威を振るっていたBOOWYのコピーバンドなどと日和るはずがない。
EはUFOとMSGからの選曲、Uはラウドネスとアイアン・メイデンから選曲。では僕はというと、当時インディーズバンドにはまっており、Doomとフラットバッカーから選曲した。
これは他のメンバーにも意外だったらしく、またそもそも聞いたこともない、とも言われたのだが、2つのバンドの曲を聞かせたらあっさりと採用となった。
6曲あれば割り当ての30分が埋まってしまう。キーボードのYはニコニコと「何でも良いよ」と掴みどころのない笑顔で、選曲権を放棄し、ボーカル2人にはそもそも選曲権は与えられなかった。BOOWYだの米米CLUBだのユニコーンだのと言い出して、EとUに真顔で「眠てぇことぬかすな」と弾圧されていたからだ。
アテが外れただろうが、ボーカルはモテるからなぁという甘言に騙され、いやその意気軒昂とシャウトしていたからお目出度いもんだ。
週に一回のスタジオ入りで、およそ3ヶ月掛けてそれぞれの曲を仕上げていった。
そんな中で、楽譜の揃っているUFO、MSG、ラウドネス、アイアン・メイデンとは違い、完全に耳コピするしかないDoomとフラットバッカーは難航した。いやEやU、それにぼくは特に苦労すること無くコピーできたのだが、キーボードのYはコードでアドリブするというのに慣れておらず、全音符で押しきるか、アルペジオをギターの和音から聞き取ってもらうという苦肉の策で切り抜けることにした。
英語がおぼつかないボーカル2人は、どうしても洋楽では歌詞カードを片手にするのだが、そこは気合で押し切れ、とこれまた雑な指図であった。
そもそもハード目の曲ばかりなので、観客をいかに煽るかが大切だ。下なんか向いて歌ったら背中に蹴りをいれるぞ、とEとUが凄んでいた。
そんなこんなで辛うじて仕上げて、泣いても笑ってもで本番の日を迎えた。
僕らは他のバンドの様に衣装を用意しなかった。というかアマチュアの分際で本気で鋲付き革ジャンだのグラサンだの革パンツなど身に付けるのは恥ずかしいにも程がある、とUは頑なに主張し、それは僕も同意見だったので、学校指定の紺色ジャージを着用した。全員揃いで間抜けだったが、その間抜けさがハード目の選曲を際立たせるという計算も働いていた。
バンド名は2Gs。2年G組だったのだ。
掴みは知名度的にラウドネス。クレイジードクターだったと思う。お好きな人はイントロから盛り上がるしテンポも良い。
観客はまばらだったが、クラスの半数くらいが会場に足を運んでくれて、ステージ前まで寄ってきてくれた。
これは気分が上がる。ジャージ姿に失笑を買いつつ、イントロが始まると、「おお〜っ」と感嘆の声も上がっていた。
二曲目、三曲目はMSG、UFO。
僕の選曲は知名度が全く無かったので、セットリストの後半にまとめられた。
フラットバッカーからは『Guerrilla Gang』。短いながらもベースソロまであり、コールもし易い良曲、と僕は思っている。
若干緊張しつつもソロを終えて、ようやく余裕が出た僕が観客をふと見回すと、そこにはFさんがいた。
それも大半の観客はぽかんと手拍子している中、1人「ガンガンっ!ガンガン!」とコールしている。
ニコニコしながら。
僕は少なからず驚き、ついつい注視してしまッた。するとFさんはしっかり目を合わせて、こちらに手を振ってくれたのだ。
ええっ?!
今、目が合ったよね?つかフラットバッカー知ってるの?
と、そこは多感な高校2年生だ。もうこれは惚れるしかないではないか。もはやドキドキと動悸まで高鳴ってきて、観客側に目を向けられなくなってしまった。
ここでベースを持ち替える。やはり諸田コウのコピーをするならフレットレスが望ましい。Doomの『Complicated Mind』の演奏が始まると、Fさんはステージに手をつき、ヘッドバンキングを始めた。
ええっ?!
Doomも知ってるの?
なんなのこの子?文学少女みたいな形して(勝手な思い込み)、インディーズバンド少女なの?
たぶん観客の中でFさんは1番ノリノリだった。
締めはアイアン・メイデンの『the Trooper』だったと思う。
Fさんは終始ニコニコと笑顔で楽しんでいた。
僕らもそれなりに頑張って演奏を完遂し、満足感に包まれながらステージを降りた。
Fさんはボーカルの男と少し話すと、僕の所へやってきた。
「ねぇ、フラットバッカーとDoomの選曲って遠近なの?」
心臓が飛び出るかと思った。
思えば「バンドはモテる」という先輩に騙されて軽音に入部したのに、うっかりテクニック至上主義に転び、ゴリゴリとフュージョンだのプログレだのという女性ウケを無視した路線をひた走り、変に男連中にだけ受ける男臭い体育会系バンドとなってしまった僕にとって、それは一年半の苦節が報われた瞬間だった。
ついに!女子から!声を!掛けられた!
「お、おう。ファンなんだ」
「すげー。初めてフラットバッカー知ってるヤツに出会ったよ」
「それはオレもだよ」
勘違いするな、というのが無理なときめきイベントじゃないか。これをフラグと言わず、何をか言わんや。かかか回収をっ!回収せねばっ!!
「今度、色々語ろーよ」
「もちろん、大歓迎だよ」
とうだ、オレ。見事、クールな切り返しじゃないか。惚れろ!惚れてくれ!僕の胸の高鳴りは最高潮に達し、恐らく人生で1番心臓が早鐘を打ちまくっていた事だろう。
文化祭は軽音部も発表ライブも恙無く終了し、僕らの2Gsはジュースで打ち上げて解散した。
Fさんはボーカルの有象無象の、有象の彼女だった。打ち上げに参加したFさんとインディーズ談義に花を咲かせ、有象と2人並んで帰っていく姿を見送りながら、誰が僕のジュースに塩を入れたのか知らないが、そいつは見つけ次第、息の根を止めてやろうと心に誓った。
その夜は枕も塩っぱかった。
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