別れの時
コロナ禍の自粛の影響で自宅で過ごす時間が多く、その間に色々なことがありました。
9月に入ってすぐに義父が他界しました。
7月に食道に癌がみつかり、これまで元気だった義父が車を手放し、気落ちした様子はみられたもの、高齢と言うこともあったので、本来の寿命までまだ数年は大丈夫かと思っていましたが、
足の衰えを感じた本人の強い希望もあり、8月末に入院することになりました。
ところが病院に落ち着き始めた頃、病院のお風呂で足を滑らせて頭を打ち、それが致命傷となり、意識不明になりそのまま帰らぬ人になってしまいました。
なんとも受け入れ難い知らせでした。
当初は、病気でも老衰でもなく、まさかの予期せぬ事故で命を落としたことに私はひどくショックを受けました。
それでも日が経つうちに、これから年老いて病気で辛い思いや苦しい思いをするよりは、誰にも手をかけさせることなく、生涯を終える選択は潔い義父が無意識に選択した生き方だったのかもしれない。と思えるようになりました。
事情があり、義父との間に血の繋がりはありませんでしたが、実母亡き後は、実の親以上に世話になり、わがままを言わせてもらってきました。
私の子供や孫たちにもかけがえのない愛情を注いでくれた人でした。
故郷や自分の暮らす土地への感謝も常に忘れることなく、
「故郷に錦を飾る」と言うことをまさに実践した人で自分の損得を考えず、偉業を成し、残された家族に言葉では語りつくせない大切なものを伝えてくれた人だったと思います。
この期間に何度かお寺の前を通るとこんな言葉が貼られていました。
『縁あって生まれ、縁あって死んでいく』
人が亡くなっていくのは悲しいことですが、亡くなるタイミングもまた必然で、周りの家族にとってもいつかは覚悟をしなければいけない時が来ます。
それはきっと誰にとっても実は絶妙に用意されたタイミングなのだろうと思います。
お寺に百日紅の花が咲いていました。
まだ喪は明けていませんが、縁があって数日前にあるお寺に行くことになりました。
このお寺は母親の新盆で高野山に供養に行き、帰ってきてからすぐに行くことになったお寺でした。ここも地元の高野山と言われるところです。
少し前に友人に一度連れて行って欲しいと頼まれていたのですが、お互いのタイミングが合わず延期になっていました。
やっと行けることになり、私が彼女の関係で案内しているかと思っていたのですが
実際には私が彼女からここへ伺うきっかけを作ってもらったことに気がつきました。
それを持って行ってもらうことにしました。
そして葬儀の朝に知多四国八十八か所のご朱印帳が浮かんだので
もしかして必要としているのかもしれないと思い立ち、それも併せて持っていってもらうことにしました。
義父はたくさんのご朱印を纏って、旅立っていきました。
新しいことに興味津々でどんなことにも熱心な人だったので
きっといそいそと私の母が待つ世界へ向かっていることでしょう。
これで私の周りに私より年長者は居なくなり、家族の中でいよいよ私が最後の年長者になりました。
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