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父との最初で最後のプロジェクト

祖父と父は、二代にわたり大工だった。
戦争から帰ってきた祖父は、祖母の家に婿として入り大工を始めた。
そして、長男である父も大工になった。

父は現在75歳。自営業で会社員のように定年はなく、大工が足りないこのご時世呼ばれることがあれば働きにでているので、一応まだ半分くらいは現役ではある。しかしここ1年ほどは仕事に呼ばれることもなくなってきて、母の命令で小さなガレージを建てたり、地区の仕事を頼まれたりというくらいになり、外からのお声がかからなくなってきて、なんとなく引退の気配が出ていた。

小さなころから祖父と父の働く姿を毎日毎日見ていたけど、自分が大工になろうとは、また建築関係の世界に進もうとも1ミリも考えたことはない。本当に申し訳ないがまったく興味がなかったし、いつも朝早くから遅くまで働き、木くずだらけで帰ってくるのを見て、ただただ大変そうだなと思っていた。祖父と父が何十年も続け、私を育ててくれた「大工」という仕事は、わたしから遠い遠いところにある存在だった。

しかし30代も後半になってきた今、そのことをとても申し訳なく思っている。大工という力仕事も女だってやればできただろうし、大工ではなくても建築関係の道もあったのかなとか。はたまた大工さんと結婚して家を継いだら祖父も父もうれしかっただろうに、という考えがよぎることがある。だから、引退の気配がしてきた父にとってはかなり遅い気もするが、なにか父と一緒に作りたいという気持ちをここ数年持ち続けてきた。

ありがたいことに義家族が購入し手を入れてくれた現在私が住んでいる築100年を超える家には、ちいさな蔵がある。そこの改装を父と一緒にやることに決めた。

cymryのヴィンテージウェルシュブランケットなどの商品を手に取ってもらえる場所であり、weavingのアトリエにもなる場所。そして以前noteに書いた「次なる、挑戦したいこと」にもつながる、海外旅行客も宿泊できる場所。そんな場所を年明けから父と作り始める。

おそらく父の年齢的にも体力的にも、これが最後の仕事になるかもしれない。職人気質の口数の少ない父と、理想イメージだけは高く口の多い娘なので父が途中で嫌になるかもしれない。ただの私の「罪滅ぼし」ではあるけれど、何十年か経ったとき、父との思い出になるその場所があったら、きっと大きな宝物になるにちがいない。またまだ小さいから記憶に残るかはわからないけれど「大工のじいちゃん」を子供たちにも見せることができる。そしてもう天国にいる大好きな祖父も喜んでくれるかな?そんなことを思い、2024年を迎えることを楽しみにしている。

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